丸山桂里奈 W杯優勝後、突然訪れた恩師との別れに涙「ひと目でもいいから会いたかった」

[ 2019年10月18日 22:17 ]

丸山桂里奈
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 サッカー女子日本代表「なでしこジャパン」の元メンバーで、タレントの丸山桂里奈(36)が18日放送のTBS「金曜日のスマイルたちへ」(金曜後8・57)に出演。第二の故郷と呼ぶ福島県と、東京電力に勤務していた当時の上司で福島第一原子力発電所の所長だった今は亡き吉田昌郎さんについて涙ながらに語った。

 なでしこジャパンが初優勝した2011年女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会をはじめ2度のW杯出場、04年アテネ、08年北京、12年ロンドンと3度の五輪出場を誇り、国際Aマッチ通算79試合14得点と女子サッカー界においてはレジェンドの一人である丸山。2016年シーズンを最後に現役を引退するとタレントに転身し、天真爛漫なキャラクターで一躍ブレークを果たした。

 そんな丸山だが、日体大卒業後の2005年に就職したのは東京電力で、勤務先は福島第一原発。のちの2011年東日本大震災の際に福島第一原発所長として収束作業を指揮することになる吉田さん(当時はユニット所長)の部下だった。Lリーグ(現なでしこリーグ)の「東京電力女子サッカー部マリーゼ」で丸山は1年目に8得点を挙げて新人王に輝く活躍を見せたが、チームは2部降格。プロ契約ではなく社員ながらサッカー優先の生活を送る部員に一般社員からの冷ややかな視線を感じることもあったという。

 だが、そんな時に悩みを聞いてくれ「サッカーを頑張ればいい。会社のことは気にするな」と親身になってくれたのが吉田さん。08年北京五輪の際には現地まで「頑張ってください」とメールも届き、ケガなどの影響もあって丸山が09年限りでマリーゼを辞め東京電力を退社した際には「サッカーをしているところが大好きだよ」と励ましてくれたという。その時の会話が最後になるとは思わなかった丸山。2011年3月に発生した東日本大震災で福島第一原発所長として収束作業を指揮する吉田さんの多忙に配慮して連絡をしないでいたところ、吉田さんは病に倒れ、2013年7月に58歳の若さで亡くなった。

 2011年女子W杯。第二の故郷と話す福島県への思いを持って乗り込んだ丸山は地元・ドイツとの準々決勝で延長戦に決勝ゴールを決め、これで勢いに乗ったなでしこジャパンは初優勝を果たした。帰国後、東京電力時代の友人と電話で話した際には「桂里奈がゴール決めて吉田さん喜んでたって」「吉田さんがゴールおめでとうって伝えてくれって」と言われた。なでしこジャパンが国民栄誉賞に輝き、丸山も多忙につぐ多忙の日々。だが、その頃、吉田さんはステージ3の食道がんが判明しており、結局一度も会えないまま2013年7月に永遠の別れとなってしまった。

 「落ち着いたら会いたいなって思ってた矢先だったんで…。ひと目でもいいから会いたかったなって」と丸山。「いつもどこかで見守ってくれてるって思ってる」と大好きな上司だったという故人を偲んだ。

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