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柳沢 今季限りで引退…現役19年目の決断「限界近づいた」

[ 2014年12月5日 05:30 ]

引退の記者会見で笑顔を見せるJ1仙台のFW柳沢

 仙台の元日本代表FW柳沢敦(37)が4日、今季限りで引退することを発表した。W杯にも2度出場した俊足ストライカーはチームの本拠地で会見し、自身の思い描くプレーができなくなったためと説明。前日に元日本代表DF中田浩二(35=鹿島)が引退を表明したばかりだが、日本サッカーの一時代を築いた名選手がまた一人ユニホームを脱ぐことになった。

【J1順位表】

 惜しまれつつまた一人名プレーヤーがスパイクを脱ぐことを決断した。柳沢が19年の現役生活に今季限りでピリオドを打つことを表明。仙台のホームスタジアム、ユアスタで会見を行った柳沢は「自分が求めるパフォーマンスと今できるものにギャップがあった。チームに残していくものが限界に近づいてきたと感じた」と、どこか吹っ切れたような顔で理由を説明した。

 96年に富山第一高から鳴り物入りで鹿島入り。1年目から頭角を現し、2年目にはレギュラーを奪取した。相手DFを一瞬のうちに置き去りにするスピードには誰もが魅了され、オフ・ザ・ボールの動きは天才的と評価された。26歳の03年には当時全盛だったセリエAにも挑戦。ゴールこそ決められなかったが、そのスピードは本場でも通用することを証明した。

 W杯にも02年の日韓大会、06年のドイツ大会と2度出場。日韓大会では日本サッカー史上初となる1次リーグ突破に大きく貢献。06年W杯ドイツ大会のクロアチア戦で絶好機を外した苦い記憶も残るが、日本代表には中田、中村ら、中盤のパスを引き出す柳沢の動きは不可欠だった。ストライカーながらゴール前でパスを選択し、周囲から批判を受けたこともあったが、「自分より得点の確率が高い人がいたらパスを選択する」と言い続けた。温和な性格とは裏腹に、勝利を最優先する自身のサッカー哲学は最後まで曲げなかった。

 鹿島の黄金時代を支えたストライカーは、今季は11月2日のG大阪戦で初得点を決め、自身の持つJ1連続得点を17年に更新。現役ラストシーズンも偉大な記録で飾った。最後の所属となった仙台の思い出を「移籍した最初の年(11年)に震災に見舞われて、大きな悲しみの中で一つになって戦う姿勢を見せられたシーズンだった」と振り返り、今後については「一生サッカー人であることは間違いない。指導者は一つの目標」と第二の人生への思いを語った。

 ▽柳沢 敦(やなぎさわ・あつし)1977年(昭52)5月27日、富山県生まれの37歳。富山一から96年に鹿島入団。97年には8得点し新人王に選ばれた。03年にサンプドリア、04年はメッシーナに移籍した。06年に鹿島に復帰し、08年に京都へ移籍。11年からは仙台。岡田監督時代の98年2月のオーストラリア戦で、国際Aマッチ初出場。W杯は02年日韓大会、06年ドイツ大会に出場。通算58試合17得点。利き足は右。1メートル77、75キロ。

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2014年12月5日のニュース