【東京新聞杯】高橋祥師、今月末で引退 カラテ連覇に挑む生粋ホースマン「勝負運残っていた」

[ 2022年2月2日 05:30 ]

東京新聞杯連覇に挑むカラテと高橋祥師(右)=撮影・郡司 修
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 【さらば伯楽】2月は競馬界にとって別れの季節。今年も東西で7人の調教師が、70歳定年制によって引退し、今月いっぱいでトレセンを去る。高橋祥泰師は約40年の調教師生活に間もなくピリオド。今週の東京新聞杯にはレース連覇が懸かるカラテを送り込む。競馬一家に生まれ、厩舎で育った生粋のホースマンながら、紆余(うよ)曲折のあった半生を振り返り、愛馬への思いを語った。

 高橋祥師は中山競馬場で生まれ育った。父・英夫氏は騎手として62年ダービー(フエアーウイン)を制し、調教師としてもダイナカール(83年オークスV)などを手掛けた昭和の名ホースマン。幼少期は競馬場が遊び場だった。「馬に囲まれた典型的な厩(うまや)暮らし。当時の中山は周囲が畑ばかり。開催日になると競馬場の隅から隅まで走り回っていました。父の乗ったレースもよく見ました。スタートも今のゲート式ではなく、(ロープを張った)バリアー式でしたね」と懐かしむ。

 父の職業に「憧れはあった」というが、いったんは獣医を目指した。進学した日大で獣医学を学び、資格試験にも合格。だが、就職予定先だった開業医が新規採用を見送ったことで、人生設計の見直しを迫られる。獣医の助手としてアルバイトをした時期もあったが、周囲のアドバイスもあり、結局は厩暮らしに戻る決断をする。75年に父の厩舎の調教助手となり、83年に調教師として独立した。

 トレーナーとしては2頭の記憶に残る名馬を送り出した。まずはタイキフォーチュン。96年に新設されたNHKマイルCの、記念すべき「第1回」の優勝馬。当時はクラシック出走権のなかった(外)(外国産馬)。「出走できたのなら、間違いなくダービーを目指していた。だから、ここしかないと思って臨んだレース。強い勝ち方だった」

 そしてサウスヴィグラス。02年根岸Sで6歳にして重賞初V。7歳で引退するまでにダート重賞8勝を挙げ、種牡馬としても長く砂の短距離界に君臨。「引退当時は種馬として全く声が掛からなかった。そんな馬が大成するのだから、競馬は分からないね」と振り返る。同馬は18年に急死したが影響力は健在。先週の根岸Sでは産駒テイエムサウスダンが父子Vを飾った。

 「本当は獣医になりたくて、今もその道に進んでいたら…と考えることがある。夢破れて仕方なく入った世界。競馬は毎週続くので、休むことも止まることもできない生活を続けてきた。長かったです」。約半世紀に及ぶホースマン人生を淡々と偽りなく振り返った師。ただ、今週の東京新聞杯に臨むカラテの話になると、口調に熱がこもった。「こういう馬を手元に置けるのは、やはり運でしかない。最後に勝負運が残っていたと感じている。何とか自分の下で、もう一つ重賞を勝たせたい」。不本意ながら始まった厩暮らしも、間もなく終わる。去来するさまざまな思いを胸に、ラストスパートの1カ月が始まった。

 ◇高橋 祥泰(たかはし・よしやす)1952年(昭27)1月31日生まれ、千葉県出身の70歳。父・英夫氏は元騎手、調教師。母方の祖父・鈴木信太郎氏、おじの鈴木清氏も調教師という競馬一族に育つ。日大農獣医学部(現生物資源科学部)獣医学科を卒業後、調教助手を経て、83年に調教師免許を取得。同年10月開業。84年4歳牝馬特別(ダイナシュガー)で重賞初制覇。JRA通算7821戦624勝(重賞12勝)。

 《“押忍の精神”開花》東京新聞杯連覇に挑むカラテは初勝利がデビュー8戦目の3歳2月。2勝目は1年4カ月後の4歳6月で18戦目だった。「普通なら抹消されていても不思議ではない成績だった。オーナーもよく我慢した」と高橋祥師。2連勝で挑んだ昨年は「半信半疑だった」と振り返るが、今年は前走のニューイヤーSが「久々で58キロを背負って強い勝ち方」と評価。「昨年とは違った感じで臨める」と、連覇へ自信をのぞかせる。

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2022年2月2日のニュース