藤沢和師 衰えぬ向上心 グランアレグリアの中距離初挑戦は「血統の進化」

[ 2021年3月2日 05:30 ]

藤沢和雄調教師インタビュー(2)

グランアレグリアで2000メートルの大阪杯に挑む藤沢和師
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 現役最多のJRA通算1500勝を達成した“競馬のレジェンド”藤沢和雄調教師(69)の引退まで1年を切った。来年2月末で70歳定年を迎える名伯楽の胸に去来する思いとは…。タイキシャトル、シンボリクリスエスなどの名馬でG1を席巻し、英国仕込みのスタイルで中央競馬に一大旋風を巻き起こした33年間。知られざる逸話や、後継へ置き手紙代わりに伝えておきたい競馬の奥義をスポニチ本紙に語った。

 ――昨年のJRA賞最優秀短距離馬グランアレグリアがマイルから初めて中距離に挑戦する。今年初戦は大阪杯(4月4日、阪神)。

 「まあ1200メートル向きじゃないのは分かっているから。1600メートルから2000メートルはいいんじゃない。スピードがあるうえにハンドルが利く。いいと思うよ。馬はスピードがなければいけないが、そのスピードで次のステージに行くことに価値があると思う。2000メートルの馬で2400メートルを勝たせる。1600メートルの馬で2000メートルを勝たせる。ヨーロッパではそういう競馬をやっている。それが血統の進化だと思う」

 ――1600メートルのグランアレグリアで2000メートルを勝たせる?

 「ディープインパクト産駒で、ブルードメアがタピットだから血統的に2000メートルはもつ。最初は前向き過ぎたけど、穏やかになった今なら1200メートルより2000メートルのほうがいいんじゃないか。1200メートルのG1(高松宮記念2着、スプリンターズS1着)にはスピードがあるから行っただけ。(中距離でも通用する)可能性はある。2000メートルでいい競馬をすれば血統の価値を上げることにもなる」

 ――フランスのジャック・ル・マロワ賞を含めてマイルG14勝を挙げたタイキシャトルは中距離G1に一度も向かわなかった。

 「タイキシャトルは天皇賞・秋に使えなかった。シンコウラブリイやタイキブリザードもそうだが、当時、外国産馬には天皇賞やクラシックの出走資格がなかったから。2000メートルの天皇賞に行けないのは心残りだった。レースに限らず、日本のシステムの中でしか動けないもどかしさがあった。日本と外国とのしくみが違う中で我々は日本流にしかできない。たとえば、ジャパンCに出走する外国の調教馬は月曜も休みなく自由に調教しているのに、こちらは月曜全休と決められている」

 ――全休日こそ変わっていないが、ビッグレースの門戸は外国産馬にも全面的に開放された。藤沢和厩舎の開業から33年。競馬は大きく様変わりした。

 「私がイギリスから帰ってきて美浦トレセンに入った頃(開場した78年)とは全く違う風景だよね。痩せた馬をばんばんステッキで叩いて追い切っていた当時の調教風景を思い出す。馬なりの調教で競馬に向かう今から見ると、著しい変化というか進歩を感じるよね。諸外国に倣ってきたなと思う。それはジャパンC(81年創設)の影響も大きい。ジャパンCに出走した外国招待馬の調教のやり方を見て学んだからね。若い人たちは欧米にも行って馬の取り扱い方を習った」

 ――出るクイは打たれるというが、英国で学んだ藤沢和師のやり方は当時、非難の的にされた。

 「当時、トレセンでは手綱の他に引き手をつけて運動していた。もし放馬したら困るとか言って。そんなのは世界のどこに行ってもあり得ない。藤沢厩舎は引き手を付けずに手綱だけで運動して危ないじゃないかって、組合から注意されたこともあった」

 ――優勝馬の口取り(記念撮影)のやり方を変えた時も波紋が広がった。

 「レース後の口取りで騎手に馬から下りてもらい、裸馬で撮影に臨んだら、“故障したんじゃないか”“脚が痛くなったんだろう”と。レースを終えたばかりの馬が転倒するぐらい馬主さんの関係者に両脇から引っ張られる光景を見て、人馬ともに危険だから騎手に下りてもらうようにしたんだ」

 ――スポニチでは当時、藤沢和調教師のコラム「美浦新風」を連載したが、そのタイトル通り新風を吹かせて競馬の風景を変えていった。後輩の調教師も藤沢和厩舎のやり方を見習った。先月引退した角居調教師もその1人。

 「栗東で開業する前に研修で私のところにも来ていたね」
 ――研修を終えた角居さんはこう語っていた。「藤沢先生はマジックを使うのかと思っていたが、魔法使いではなかった。恐ろしいほど基本に忠実。基本的なことを一切手抜きせずにやっている」と。

 「凄いことなんて何もしていない。マジックなんてないよ。追い切り日の目立つところだけじゃなくて、毎日、当たり前のことを手抜きせずにコツコツやる。開業したての頃、仲住芳雄先生という大先輩の調教師が“土、日曜の早朝は大半の調教師がここ(美浦トレセンのスタンド)にいないじゃないか”と怒った。競馬開催日でも調教師なら自分の管理馬の調教ぐらいは見に来い!と言いたかったんだと思う。そういうことを若い調教師にも伝えておきたい」

※(続く)

 ◆藤沢 和雄(ふじさわ・かずお)1951年(昭26)9月22日生まれ、北海道苫小牧市出身の69歳。実家は78年秋の天皇賞馬テンメイなどを生産した藤沢牧場。青藍牧場(登別市)勤務を経て、73年から4年間、英国ブリチャード・ゴードン厩舎で厩務員。77年に帰国し、菊池一雄、野平祐二厩舎の調教助手を務めた後、87年、調教師免許取得。88年、美浦トレセンで厩舎開業。JRAリーディング(中央競馬年間勝利数1位)に14回輝いた。JRA通算1528勝(うち重賞123勝、G1・32勝)。趣味はゴルフ、鳩の生産、飼育など。

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