高倉健さんのパートナー、養女・小田貴月さん なれ初めを明かす 紳士的すぎる振る舞いに黒柳徹子も絶句

[ 2023年6月8日 15:44 ]

小田貴月さん(C)高倉プロモーション
Photo By 提供写真

 故・高倉健さんの養女で高倉プロモーション代表の小田貴月(たか)さん(59)が8日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)に出演。高倉さんとのなれ初めを明かした。

 高倉さんは2014年11月10日、悪性リンパ腫のため死去した。83歳だった。小田さんは高倉さんに17年間寄り添い、最期を看取ったパートナー。1996年に出会い、2013年、養女となって“再婚”に至った。

 番組司会の黒柳徹子から「出会い」について聞かれた小田さんは「偶然なんですけど、仕事で回っていた香港(のホテル)でレストランに入りましたら、“オープン前なのにどなたかいらっしゃる”っていうのが雰囲気で分かりまして、ドアを開けましたら、常識的に“あ、高倉さんだ!”って分かったんです。私たちは取材班なので、身綺麗ではありますけど、身汚しになってはいけないと思って、すぐにその場を離れて、もう一度、レストランに入ってもいいかどうかを伺っていただいて、レストランの隅っこのほうで、パーテーションで仕切っていただいて、ご飯を食べていた」とした。

 「そうすると、デザートの時になって、忍者のように近づいて来られて、音もなく。スッと来られて“もう、そのままで”と言ってくださって、“わざわざ自分たちのために隅でご飯食べていただいて申し訳ない”みたいなことをおっしゃっていただいて。“どうぞ、良い仕事を続けられてください”って一言だけ伝えてくださって、スッとその場を離れたんです」。その紳士的な振る舞いに、黒柳も思わず「えー」と絶句するほど。

 「私も含めて、皆さん、“あ”も言う暇もなく、“うわ、かっこいい!”みたいな感じで」と小田さん。「私たちのテーブル、5~6人いまして、みんなに“高倉さんから預かりました”って、ホテルのアテンドの方から名刺をいただいて。それがきっかけです」と出会いを明かした。

 その後、その名刺の住所に、その時の取材で完成した雑誌を送ったといい、「高倉さんからも“自分は映画俳優をしていて、こういう仕事をしています!”ってことで、一番近くやったお仕事です!ということで、雑誌を送っていただいて。著作物も送っていただいて」と小田さん。「私は高倉健という人をあまり分からなかったんです。映画俳優をされていることは分かっていたけど、どういう仕事を具体的にされているのか、どういう人生を送られているのかを分からなかったので、その本を読ませていただいて、こういう人生なのかと。そこで初めて、ご結婚されて、離婚されて、火事にも遭って…っていうので、“幸せになりたい!”って書いてあって」と回顧。

 「雑誌の最後に“旅先でクライングエンジェルっていうブロンズ像を買い求めたんだけど、泣いている天使をずっと見ていると悲しくなるから、スマイリングエンジェルが欲しい”って書かれていたんです。その時、私は海外へ行くことが多かったので、キリスト教圏に行くときにはスマイリングエンジェル、かわいらしいエンジェルが見つかったらそれを送らせていただこうかなと思って。ポストカートに“今、捜索中です!”と(書いた)。そんな短いやり取りが1年ぐらい続いた感じですね」と振り返った。

 さらに、その後、小田さんが仕事でイランに行くことになったといい、イランは高倉さん主演し、日本・イラン合作映画「ゴルゴ13」の撮影で訪れた場所。「イスラム圏ですから、女性がお仕事するのにどれだけ大変かっていうのを凄く心配してくださった」といい、「ある時、ジーンズを履いて上をできるだけカバーするものを着てたら、ヒップラインが出ているってことで、パトカーに引っ張られそうになって。“私、日本人です!”って、パトカーに押し込められる直前で大丈夫だったんですけど、そんな話をしたら“すぐに帰ってきなさい!”って怒られまして。“でも、高倉さんから依頼があった仕事ではないので、いくら何でも帰れません!”って言ったら、ガチャン!って電話切られて」と苦笑。「そんな紆余曲折がありまして、日本に帰ってきてから、高倉さんと会って、話をして。まあ、叱られたことがきっかけです」と懐かしみ、「高倉さんはきっと“出来ません”とか“それは違います”とか、そんなこと、言われたことは無かったと思うんです。だから怒ったのかもしれませんね」と笑った。

続きを表示

この記事のフォト

「美脚」特集記事

「STARTO ENTERTAINMENT」特集記事

2023年6月8日のニュース