「ちむどんどん」最終回“ナレ大団円”一気に40年後&全員老けメイク!ニーニー借金倍返し 子役も再集結

[ 2022年9月30日 08:15 ]

連続テレビ小説「ちむどんどん」最終回(第125話)。「202X(令和X年)」の比嘉家の面々(C)NHK
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 女優の黒島結菜(25)がヒロインを務めたNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」(月~土曜前8・00、土曜は1週間振り返り)は9月30日、最終回(第125話)を迎え、完結した。

 <※以下、ネタバレ有>

 朝ドラ通算106作目。タイトルは沖縄のことばで「チム(肝=心)が高鳴る様子」「胸がドキドキする」という意味。映画「パッチギ!」「フラガール」などで知られ、14年後期「マッサン」を担当した羽原大介氏がオリジナル脚本を執筆。今年、本土復帰50年を迎えた沖縄を舞台に、沖縄料理に夢を懸けるヒロイン・比嘉暢子(のぶこ)ら個性豊かな4きょうだい、本土復帰からの歩みを描いた。

 最終回は、1985年(昭和60年)11月24日、暢子(黒島)の新しい店「やんばるちむどんどん」は無事、開店初日を終えた。しかし、その日、歌子(上白石萌歌)が熱を出し、倒れてしまう。高熱はなかなか下がらず、暢子、優子(仲間由紀恵)、良子(川口春奈)たちは心を痛め、千葉から賢秀(竜星涼)も駆けつける。歌子の無事を祈る暢子は、賢秀と良子とともに“とある場所”へ向かう…という展開。

 暢子、賢秀、良子が海に向かって「おとーちゃーん!」「歌子を助けてちょうだーい!」と叫び、暢子が作った「フーチバージューシー」も食べた歌子は目を覚ました。

 時は流れ「202X(令和X年)」。1953~54年生まれの暢子は、65~76歳の可能性。

 山原村共同売店は大きな建物に。1985年開店の「やんばるちむどんどん」は営業を継続している。

 暢子が店に戻ると、孫の青柳未来(稲垣来泉=暢子の幼少期も)たちに“ドッキリ”を仕掛けられ、驚き。暢子の息子・健彦(西銘駿)はこの日朝の便で沖縄に帰省した。

 良子&博夫(山田裕貴)一家も帰省。孫(土屋希乃=良子の幼少期も)たちも連れてきた。

 賢秀&清恵(佐津川愛美)一家も帰省。孫(浅川大治=賢秀の幼少期も)は賢秀の「スーパーバンド」ならぬ「コスモバンド」を頭に装着している。

 歌子&智(前田公輝)一家も帰省。孫(布施愛織=歌子の幼少期も)は暢子にゆし豆腐を手渡した。歌子は「この10年、風邪もひいてないよ」と元気だ。

 「やんばるちむどんどん」オープン時の写真。昔話に花が咲く。「なんでオレ、いないわけ?」(賢秀)「あの時は、本当に心配だったね」(良子)「もう助からないと思ったさ」(智)「海で父ちゃんにお願いしたおかげで、助かったわけさ」(賢秀)「元気になったのは、うちのフーチバージューシーのおかげさ」(暢子)「はいはい。皆さんのおかげで、今日までやってこれました」(歌子)。

 この日は優子の誕生日会。90代の可能性もある。暢子には一緒に「ハッピーバースデートゥーユー」を歌う賢三(大森南朋)の姿が見えた。

 「賢秀は清恵とともに猪野養豚で地道にコツコツ豚を育て続け、昔、家族に借りたお金はすべて倍にして返し終わりました」(語りジョン・カビラ)

 「良子は夫婦揃って校長まで勤め上げ、銀婚式には海外旅行へ行く夢をようやく果たしました」(同)

 「歌子は民謡歌手として、たくさんレコードを出しました。そして、子どもたちに唄三線を教えています。智は歌子の歌手活動を支えています」(同)

 「和彦(宮沢氷魚)は念願だった沖縄の本を出版し、民俗学分野でその功績を称えられ、沖縄の文化を発信し続けています。暢子の『やんばるちむどんどん』は大繁盛。今日も料理三昧の日々を送っています」

 集合写真、それぞれの家族写真を撮り、食卓には「ハンダマのサラダ」「フーチバーのポルケッタ」「タコライス」「アーサのゼッポリーネ」が並ぶ。未来は「私は絶対に世界一のパティシエになる」。暢子は「うちは明日からもこうやって、大好きな人たちと美味しいものを食べたい」。歌子が歌い、和彦が三線を弾き、皆が踊る。「これは、やんばるのある家族の物語です」(語りジョン・カビラ)――。

 暢子が高校生の頃の比嘉家食卓。「子どもの頃、家族と食べた美味しいもの、共に過ごした思い出は、きっとその後の人生に勇気を与えてくれるはずです」(同)。暢子はシークワーサーの実をもぎ取り、においをかぎ、皮をむいて食べた。

 ラスト10分、一気に約40年が経過し“ナレ大団円”。黒島ら“全員”が老けメイクを施した。4きょうだいの幼少期を演じた子役が、それぞれ孫役。再集結を果たした。

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