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複数の草野球チーム持ち「リアル」を追求 水島新司さんが貫いた野球愛

[ 2022年1月18日 05:30 ]

水島新司さん死去

75年12月、ユニホーム姿で執筆する水島新司さん
Photo By スポニチ

 新潟市で鮮魚店を営む家庭に生まれた水島さん。中学卒業後は実家や水産問屋で毎朝5時から深夜1時まで働き、仕事後のわずかな時間に大好きな漫画を描く日々を送った。

 転機は18歳だった1958年(昭33)。大阪の貸本漫画出版社「日の丸文庫」の短編集「影」の新人賞に投稿した「深夜の客」が入選してデビュー。同社に住み込みで描き始めた。当時の大阪は劇画ブームの真っただ中。だが貸本漫画は間もなく衰退。「週刊少年マガジン」など東京の大手出版社の週刊漫画誌が盛り上がりを見せ始め、水島さんも64年に上京した。

 69年には「少年キング」で、野球漫画では自身初の連載「エースの条件」を発表。原作は花登筐(はなと・こばこ)氏で、当時を知る関係者によると水島さんが大阪時代に心酔した作家だった。「一緒に作品を作れるのがうれしくて、水島さんは“野球漫画なら水島と呼ばれるようになる。以後3年は野球に徹する”と決意した」といい、ここから野球一筋の漫画家人生が始まった。75年には「男どアホウ甲子園」「野球狂の詩」「ドカベン」「あぶさん」「一球さん」など野球漫画5作を連載し、少年誌から青年誌まで席巻した。

 水島さんの野球漫画の魅力は、自身も「ボッツ」など複数の草野球チームを持つなど、プレーヤー視点から得た確かな野球眼。後輩の野球漫画家は「“ルールブックの盲点”と呼ばれるエピソードを描くなどルールに精通し、ビデオ判定の必要性を訴える先見の明もあった。フォームはリアルで、マネしたくなるほど力感があり、格好良く描かれていて憧れた」と語る。

 デビューから60年休まず描き続け、2018年に「ドカベン」の連載を終えたのは79歳の時。これは週刊少年漫画誌では最年長記録とされている。1作品あたり1週間で20ページ前後を描かなくてはならない激務。親友ちばてつや氏は当時、本紙の取材に「普通この年なら線が弱々しくなるが、水島さんの線は今も力強い。現役の絵だ。次の作品を考えているはず」と、鉄人ぶりに舌を巻いていた。

 実際、水島さんは同年末、本紙のドカベン終了特集に「これじゃあ、まるで引退するみたいじゃないか。スピンオフや続編が描きにくくなっちゃうよ」とボヤき、衰えぬ創作意欲を見せていた。

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