すぎやまこういち氏 ゲームマニア 馬、中日…“ドラゴン”への愛着 信じるものにこだわり抜いた人生

[ 2021年10月7日 17:30 ]

すぎやまこういち氏(04年撮影)
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 【評伝】敗血症性ショックで亡くなったすぎやまこういちさんは、国民的ゲーム「ドラゴンクエスト」の音楽を長年にわたって手掛けており、自身も筋金入りのゲーマーだった。ドラクエシリーズではパーティーのレベルを最高まで上げないと気が済まないほど熱中した。一方で、米紙に従軍慰安婦問題に関する意見広告を自費で出すなど「愛国者」を自認していた。

ゲームマニアでもあったすぎやまさん。ドラクエは基本的に全てのキャラクターのレベルを最高値の99まで育て上げた。10作を超えるシリーズで、1作ごとに100時間以上を費やしてきた。1987年発売のドラクエ2はゲームを中断する際に52文字による「ふっかつのじゅもん」をプレイヤーが書き留める必要があったが、すぎやまさんは書き損じがないよう、52文字を映しだすテレビ画面ごと印刷できる機械を購入したほどだ。

 ゲーム好きだった両親の影響で、子供の頃には空襲警報下でも暗闇の家の中で花札やトランプに興じた。小学5年の時、麻雀連盟の理事だった父親に、遊び相手ほしさに麻雀やコントラクトブリッジなどを教え込まれた。ギャンブルも好きで、日本カジノ学会の理事も務めた。

 ドラクエに執念を燃やしただけでなく“ドラゴン”と名が付くものに目がなかった。プロ野球は中日ドラゴンズのファン。競馬ではドラゴンの名が入る馬に賭けることも多かった。コレクターの一面もあり、モノポリーやバックギャモンなどのゲーム用品は約300点以上、クラシックカメラは約500台を収集した。

 音楽に対するこだわりも強かった。成蹊高校では自身で音楽部を創設。音大を目指したが、両親に「学費が安い公立に行ってほしい」と言われて諦め「仕方なく」東大に進学。入学後も授業を抜け出しては高校の音楽部の活動に足繁く通った。フジテレビ時代は、念願の音楽番組の担当が決まると、カメラマンや照明らスタッフ全員に楽譜が読めるように指示した。

 愛国者を自認しており、07年には米ワシントンポスト紙に「慰安婦問題について強制性はなかった」とする日本側識者の意見広告を掲載。広告費は全て自身で負担した。自民党保守派を支援し、安倍晋三元首相や稲田朋美元防衛相らに寄付してきた。カジノなどでたびたび海外を訪れたが「日本ほどいい国はない。日本に生まれてよかった」とよく話していた。

 音楽にゲーム、自身の信じるものに、こだわり抜いた人生だった。

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