元AKB48・岩田華怜 東日本大震災から10年 「地元に寄り添いたい」

[ 2021年3月10日 08:00 ]

女優として「自分が建てた劇場に出演できたら最高です」と大きな夢を語る岩田華怜                              
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 2011年の東日本大震災から11日で10年。元AKB48で女優の岩田華怜(22)がインタビューに応じ、故郷・仙台での被災から今日までを振り返り、「10年たったと言われても、実感がない」と、胸の内を明かした。(デジタル編集部専門委員・牧 元一)

 震災時は小学6年生。その日は体調を崩して学校を早退し、仙台市内の自宅マンションで横になっていた。震度6強。大きな揺れを感じ、はだしのまま外へ飛び出した。

 マンションには大きな亀裂が入り、立ち入り禁止。父親の車の中で一夜を明かしたが、外出していた母親と会えたのは翌日だった。家族3人で近くの祖父母の家へ。電気が止まっていて、しちりんで寒さをしのぎ、冷凍食品を冷たいまま食べた。

 「仙台に関して言えば、今は震災前より栄えている気もします。でも、今でも、ふとした瞬間に、あの時のことを思い出します。地震の緊急アラームが鳴ると、凄く心拍数が上がって、めちゃくちゃ怖くなります。これがトラウマなのかと思います。私の中では、10年前の出来事という気がしない」

 当時はAKBのオーディションのさなかで、震災直後に東京で最終審査が行われる予定になっていた。被害が広がる中、上京するかどうか悩んだが、一つの考え方に心が動いた。AKBの一員として仙台に戻って来れば、故郷の力になれるかもしれない…。審査の結果は合格。4月からアイドル活動が始まった。当時、AKBは復興支援活動として被災地でライブなどを行っていた。

 「人生が180度変わりました。高橋みなみさんと一緒に、復興支援の先頭に立って、やらせていただきました。それは私にとって一生の財産で、今、思い出しても、ありがたいです。でも、プレッシャーも大きかった。強くあろうとしていました。1人で強がっていました。良くやっていたと自分でも思います」

 思い出の一つは、NHKの復興支援ソング「花は咲く」の歌唱メンバーに選ばれたこと。シングルのカップリングに自身のソロバージョンが収められており、NHKホールのステージでソロ歌唱する機会も得た。

 「当時は事の重大さが分かっていませんでした。今考えると、貴重な経験です。『花は咲く』のCDは持っている方が多くて、お仕事で共演した方、そのご家族などから『サインがほしい』とCDを出されることがあります。NHKホールで1人で歌ったのは、衝撃が強すぎて、本番が終わるまでのことを覚えていません」

 アイドル活動は順調に見えた。しかし、その胸の内には、かっとうがあった。仕事を続けていく中で「被災者」という文字がついて回ったからだ。

 「私は本当はひょうきんで、お調子者で、人を笑わせるのが好きなんです。でも、ふざけちゃいけないと思って、そういう自分を押し殺していました。本当の自分をどこで見せたら良いか、悩んでいたんです。13年頃から、バラエティー番組に出るようになって、素の私を出したら、そこから歯止めがきかなくなりました。『被災者の子』から『バラエティーの子』になりました」

 16年にAKBを卒業し、女優の道へ。何より、芝居が好きだった。

 「お芝居をしている時しか心が潤わないと思うくらい好きです。この5年はやりたかったことができて、充実していました。夢はいっぱいあるんですけど…。大きな夢のひとつとしては、仙台に劇場を建てたい。今、仙台には、私が出る舞台にちょうど良い会場がないんです。自分が建てた劇場に出演できたら最高です」

 震災から10年たち、さらに故郷への思いは強い。

 「地元があるから、今、頑張れている。被災地を背負うのではなく、寄り添っていきたいと思います」

 ◇岩田 華怜(いわた・かれん)1998年(平10)5月13日生まれ、仙台市出身の22歳。2011年4月、AKB48の第12期研究生オーディションに合格。12年5月発売の発売のシングル「真夏のSounds good!」で初めて選抜メンバーに。20年、映画「鶯谷ワンダーワールド」に主演。

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