名物宣伝マン、令和も健在なり!

[ 2021年2月3日 08:00 ]

 【佐藤雅昭の芸能楽書き帳】東映の名物宣伝マンだった佐々木嗣郎(つぐお)さんが雑誌「GQ JAPAN」3月号で日本映画華やかなりし頃の思い出を語っている。

 発売後、多くの映画関係者から「佐々木さんが出ているよ」との電話やメールをちょうだいした。たくさんの人から慕われ、愛されている証(あかし)に違いないが、実は皆さんから連絡をいただく前に知っていた。電話で本人から直接聞かされていたからだ。そこは名うての宣伝マン、抜かりはない。

 1958年(昭33)に京都・太秦の東映京都撮影所に入社。人事課を経て60年に宣伝部に配属され、キャリアをスタートさせた。三波春夫さんの一言で東映入りした秘話や、鶴田浩二さんに長男、高倉健さんに次男の名付け親を頼んだ話など、公私にわたる興味深いエピソードが満載。「やっぱり凄い人だ」と改めて敬服する。

 74年に東京本社に転勤となり、定年まで立派に勤め上げた。映画記者になった筆者に俳優さんとの接し方や撮影現場での心構えなどを一から教えてくれた恩人の1人が佐々木さんだった。定年を迎えた時にコラムで紹介し、今でも古い俳優さんのことで分からないことがあるとご教示を願う。

 80年代後半まではかなりの頻度で京都出張があった。岩下志麻さん主演の「極道の妻」シリーズの現場取材などが入ると勇んで新幹線に飛び乗った。佐々木さんの実家は京都・東山にあった老舗旅館。当時は既になかったが、面影を残す風情ある街並みを訪れてメシをごちそうになったことも懐かしい思い出だ。

 俳優さんからの信頼も厚かったし、映画記者も常に大事にしてくれた。フォトセッションの際、あの志麻姐(ねえ)さんに「こんな感じでお願いします」と長ドスを手に自らポーズを決めて見えを切った宣伝マンは後にも先にも佐々木さんしか知らない。しかも何パターンもだ。

 吉永小百合さんの写真集にも大きな日傘を持った佐々木さんが写っている。小百合さんの背後で直立不動。まるでトトロのような佇(たたず)まいが、ちょっとおかしい。

 豪放らい落に見えて繊細。下戸ではあったが、麻雀が大好き。女性にも優しくて…。そんな人間臭さが俳優さんはもとより映画記者たちの心も開かせた。バランス感覚は見事だった。黄金期からはずいぶん時間が経ち、括(くく)りで言えば、斜陽化の中にあったはずだが、映画が娯楽の王様だった頃のダイナミズムがかろうじて息をしている時代。取材される側に取材する側も合わせ、みんな一体となって盛り上げていこうという空気が残っていたように思う。

 あの頃に比べて映画界も大きく様変わりした。コンテンツとしての需要は尽きないが、配信という形態も加わってお披露目の場の選択肢が格段に増えた。競合は質の向上を生むが、生活様式の変化に伴ってスクリーンへの人々の思いも変わってしまっている。

 映画の場合、コケた時のリスクを分散しようと製作委員会方式がほとんどになった。加えて、出演者の所属事務所が出資しているケースも少なくないから映画会社の方に遠慮が出てきたように見えるのは致し方のないことかもしれない。

 宣伝マンの立場も微妙だ。出演者=事務所との関係を最優先に考えて宣伝を組み立てなければいけないから必然マスコミとの間に距離が出来る。残念ながら、その時点で一体感は消えてしまう。

 俳優さんと直接親しくなることも難しいだろう。今の宣伝マンたちを気の毒に思うのは、佐々木さんたちと一緒に仕事が出来た古い人間の素直な感想だ。

 それでもDNAを受け継いでいる後輩たちは少なからずいるはずだ。直接会って話を聞いてみてはいかがか。3月に81歳になる名物宣伝マンはまだまだおもしろい話を持っているはずだ。

 大部屋俳優にスポットを当てて佐々木さんが書いた「太秦の星」という脚本がある。映画化の機は逸してしまったかもしれないが、人生の大先輩が撮影所に思いを馳せて書いた渾身の1冊。宣伝の仕事をしている人間にとってはこれ以上ない良き教材と思う。

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2021年2月3日のニュース