宅八郎さん 8月に死去していた、57歳 オタク文化世に広めた評論家

[ 2020年12月5日 05:30 ]

宅八郎さんの芸名は「エイトマン」から付けられた
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 1990年代に「オタク」の象徴的存在として一世を風靡(ふうび)した「おたく評論家」の宅八郎(たく・はちろう=本名矢野守啓=やの・もりひろ)さんが8月11日午後10時ごろ、小脳出血のため東京都府中市の病院で死去した。57歳。浜松市出身。葬儀は近親者で行った。鮮烈なキャラクターで、漫画やアニメ、アイドルを中心とするサブカルチャー愛好家を「オタク」として浸透させた。

 宅さんは今年5月、小脳から出血して都内の自宅で倒れ、病院に搬送された。当初は意識があり会話もできたが、6月末に再出血。その後意識が戻らないまま8月11日に息を引き取った。

 実弟の矢野雄康さん(52)によると、持病は特になく、近年は執筆活動や楽曲制作、DJなどの音楽活動をしていた。熱烈なファンだったテクノポップバンド「プラスチックス」のボーカルで、17年に亡くなった中西俊夫さん(享年61)の自伝出版(13年)に携わった際には「インターネットで情報がタダで手に入るから、昔と違って活字の本は売れなくなった」と嘆いていたという。

 宅さんは高校時代に漫画研究会に所属。法大卒業後、CM制作会社に勤務したが8カ月で退社しフリーライターとなった。「おたく評論家・宅八郎」を名乗り、メディアへの出演が増えたのは1990年。前年に世間を震撼させた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件で逮捕された宮崎勤元死刑囚が「オタク」と報じられた影響で、オタクへの風当たりが厳しい時期だった。

 肩までかかるロングヘアに銀縁メガネという特徴的なキャラクターで、日本テレビ「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」など人気番組に出演。定番アイテムだった紙袋や森高千里(51)のフィギュア、マジックハンドも注目を集めた。

 その強烈な印象から「オタクのイメージを低下させた」との批判を浴びた一方、「オタク文化を世間に定着させた」とも評された。矢野さんは「キャラクターは兄なりの演出でオタクに対する世間の偏見を最大化したもの。反発を込めた表現だった」と明かした。公表はしていなかったが、結婚もしていた。

 週刊誌記者との中傷合戦や、車の当て逃げ事件で略式起訴されるなど“お騒がせ”も多かった。07年には渋谷区長選に出馬し「渋谷を萌える町に」と訴えたが、落選した。矢野さんは「理屈っぽくて丁寧に説明しないと気が済まない性格だった。口論になったこともあったが、優しい兄でした」と明かした。

 ◆宅 八郎(たく・はちろう、本名矢野守啓=やの・もりひろ)1962年(昭37)8月19日生まれ、浜松市出身。浜松南高、法大卒。制作会社を経てフリーランスに。東レの契約マーケティング研究部員だった時期も。著書に「イカす!おたく天国」「処刑宣言」など。執筆業のほか、韓国語翻訳やデザイン、プランナー、ホストなど多くの職業を経験。芸名はアニメ「エイトマン」の主人公・東八郎から。

 ▼小脳出血 身体のバランスを保ったり、発語を調整する役割の小脳の組織内に出血が起こる。高血圧や動脈硬化が原因で肥満や運動不足、食生活の乱れ、塩分過多、ストレス、喫煙などの生活習慣が誘因となる。50~60代から増加。症状は、めまいや吐き気、頭痛、身体のふらつき、発語がうまくいかないなどが突然現れる。治療は、出血量や意識状態によって手術をするか判断される。

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