玉三郎の極意 絵を見て絵を見ず――「麒麟がくる」でTVドラマ初出演 人間国宝が語る役作りの裏側

[ 2020年11月29日 07:00 ]

エンタメ カレイドスコープ

歌舞伎からテレビでの現代劇にも通ずる芝居の極意を語る坂東玉三郎(撮影・小海途良幹)
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 歌舞伎界を代表する女形で人間国宝の坂東玉三郎(70)は現在放送中のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」(日曜後8・00)でテレビドラマに初出演している。「緊張しました。初めてだし、帝(みかど)だし…」と言うものの、その口調は朗らかだ。古典芸能の歌舞伎からテレビでの現代劇にも通ずる“玉三郎流”芝居の極意を本紙の単独インタビューに明かした。(吉澤 塁)

 撮影が行われた東京・渋谷のNHK。「(撮影を)任せてしまうのは楽しい。自分のテリトリーじゃないから。材料になりきるのは凄く楽でしたね」。普段の歌舞伎公演では出演のほか、演出やプロデュースに至るまでそのほとんど全てを手掛けている。だからこそ一人の出演者として参加している今作は撮影を純粋に楽しんでいる。

 出演のきっかけは主人公の明智光秀を演じる長谷川博己(43)との縁。長谷川の父で、昨年他界した建築史家の長谷川堯さんと50年来の交流があり「“じゃあワンシーンだけ出た方がいいかもね”と思っていたら、このようになりました」。

 当初は1、2回の出演を想定していたが、依頼された役は正親町(おおぎまち)天皇。没落した朝廷の存続を思い、どこか達観した立場から動乱の戦国時代を生きる帝で、物語にも大きく関わっていく重要な役どころ。

 だが、正親町天皇は現存する資料が少ない。役を捉えるアプローチとして選んだのは歴代天皇の肖像画だった。「天皇は1000年くらい前からほぼ同じ様式。だからいろいろな天皇の絵を見ました。逆に本人の資料が残っていないから想像がしやすかった」

 資料に基づいて模倣するのではなく、それにまつわる資料を探究し、想像を巡らせる。「その存在は美しい空みたいなもので、時には台風や落雷もある。絶対的な存在なのに具体的ではない」。この想像力によって、リアリティーある姿を画面に表象させることができたのである。

 それは、もともと歌舞伎の役作りでしてきたこと。「まず絵を手にします。何度も見ていると、違う物が見えてくる。描き手の意思とか…。それが自分の持っている材料とリンクしてくるんです」

 絵を見ながらも、その絵になろうとは思わない。描き手に思いをはせ、込められた意図を探る。それを自身の内にある膨大な引き出しを使い、役を紡いでいく。

 一方で、体の動かし方や表情の作り方など、演技に必要な動きは具体的な体験から得る。「所作は生活様式から出てくるもの。あの時代の衣装を着て、その衣装で動ける範囲で動いていたらそれが所作につながるの」。

 絵を見て、絵を見ず――。そこで感受したものを自らに浸透させ、実体験で得たものと融合させて「反応」として生まれるものが演技。これが芝居の極意ということか。

 演じる役は抽象的なものが多い。女形の芝居は男でも女でもない性の超越があるが、いとも簡単に乗り越え、輝きを放つ。最後に映像作品に出演した95年の映画「天守物語」で演じたのも、妖しく美しい異界の夫人だった。「私が演じるのは大体がこの世にいない人。たまには世俗の役も頂きたい」。そう言って浮かべた笑みにも、世俗からかけ離れた美しさがあった。

 《「十二月大歌舞伎」12・9から出演》来月からは「十二月大歌舞伎」(東京・歌舞伎座、1~26日)の第4部「日本振袖始」に出演する。新型コロナウイルス陽性者の濃厚接触者と認定されたため、玉三郎は9日からの出演となった。同作は日本神話を題材とした舞踊劇。「女の姫が女の姫を食べるという実に退廃的な作風。そこに面白さがある」と作品の魅力を解説する。コロナ禍での舞台にも「劇場に入ったら、お客さまに現実を忘れてもらいたい」との思いを込めて千秋楽まで務め上げる。

 ◆坂東 玉三郎(ばんどう・たまさぶろう)1950年(昭25)4月25日生まれ、東京都出身の70歳。56年に十四代目守田勘弥の部屋子となり、57年に初舞台。64年に勘弥の養子となり五代目坂東玉三郎を襲名。86年、舞台「ロミオとジュリエット」を初演出。88年にはヨーヨー・マらの演奏で創作舞踊を上演。12年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。主な当たり役は「壇浦兜軍記」の阿古屋など。

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