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没後1年連載「ショーケンの遺産」(1)伝説の「傷だらけの天使」は萩原健一の感性から生まれた

[ 2020年4月14日 10:00 ]

ドラマ「傷だらけの天使」のDVDのジャケット
Photo By スポニチ

 俳優の萩原健一さんが亡くなってから1年が経過した。ドラマ「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」などの主演作は今でもファンの心に深く刻まれ、その輝きはうせることがない。今年7月26日の生誕70周年を前に、遺(のこ)された作品の魅力を、萩原さんが生前語ってくれた言葉をもとに浮き彫りにする。

 萩原さんに長時間にわたって話を聞いたのは2009年。スポニチ本紙の連載「我が道」の萩原さんの回を構成するためだった。

 個人的に最も関心があったのが、子供の時に見た「傷だらけの天使」(1974年)。萩原さんと水谷豊がコンビを組んで「アキラ!」「アニキ~」と呼び合い、破天荒な行動を繰り広げるドラマは長い時が流れても鮮烈だった。

 ドラマの中にはアドリブが数多く存在したが、萩原さんは私にこう明かした。

 「あのドラマは、おれが好き勝手に演じることを許されていた、なんて言われてるけど、実際は、台本が遅れがちだったんで、そうするしかなかったんだよ。台本がなかなか上がってこないんで、よく銀座の飲み屋とかで待ってた。上がってきても、レジュメ程度しかない時もあった。だから、自分でアイデアを出すしかなかったんだ」

 実は「アキラ!」「アニキ~」の掛け合いも台本に書かれていたものではなかった。萩原さんと水谷は当初、セリフが途切れそうになると「バカヤロー」を連発していたが、プロデューサーから「バカヤローが多すぎる。なんとかしてほしい」と注意された。萩原さんらはどうしようか考え、アフレコの時に「バカヤロー」の部分を全て「アキラ!」「アニキ~」に言い換えた。

 「それがウケたんだから、分からないもんだよな」と萩原さんは笑った。

 萩原さんが朝食を1人で食べるタイトルバックも、当初の予定にはなかった。撮影スタッフとは「タイトルバックはなくてもいいんじゃないの。テレビ史上初になる」などと話していたが、ふだん現場にいないプロデューサーがある日やって来て「見ている人が混乱するからタイトルバックは作って欲しい」と注文をつけた。そこで萩原さんらが急きょ、ひねり出したのがあの朝食シーンだった。

 「牛乳とかトマトとかコンビーフとかソーセージとか、近くですぐに買えるものを集めてもらったんだ。新聞紙を前掛けにしたのは、おれが街で見かけた工事現場のおじさんのまねだった。人間観察というのは、いつか役に立つもんなんだよ。朝メシを食う設定は、マルチェロ・マストロヤンニ主演の映画『最後の晩餐(ばんさん)』がヒントだったかな…」と萩原さんは振り返った。

 あのドラマを支えていたのは、萩原さんの経験や感性、個性的な発想だった。書かれた台本通り、監督の指示に従うだけで演じていたら、のちにファンから「伝説」と称えられるほどの作品に昇華することはなかっただろう。

 「おれが考えた、というより、どさくさ紛れだった。じっくり考えてる暇なんてなかったんだから。けれど、どさくさ紛れと言っても、真剣だったのは確かだ。その真剣さで、うまく回ったという部分はあるだろうな」と萩原さんは語った。

 ただ、萩原さんは数多い出演作の中で、私が「傷だらけの天使」について最も熱心に質問することには少し不本意そうだった。口には出さなかったが、あの作品はあくまでも若い頃の通過点に過ぎないという思いがあったのかもしれない。

 萩原さんにとって「傷だらけの天使」とは何なのか?その問いに「これからも、そういう発想であったり感性であったり、そういうものを研ぎ澄まさなくちゃいけないと思ってる」と淡々と語ったことが印象深い。萩原さんは新たな伝説を望んでいたのだと思う。(牧 元一)

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