死語との出合い。寄席で発見する温故知新の喜び

[ 2018年2月2日 09:16 ]

 【笠原然朗の舌先三寸】「きょうこうきんげん」である。漢字で書くと「恐惶謹言」。

 手紙などの末尾に書く4文字で、「おそれかしこまり、つつしんで申し上げる」。「ははー」と平服しながら、相手に対して最大の敬意を示す…そんな感じだ。

 最近ではとんと見かけない言葉、というより私は54年間生きてきて昨年、初めて知った。それも寄席で。

 岡本綺堂作の「半七捕物帳」に出てくる半七老人が実在していればさもやの雰囲気を持つ入船亭扇辰が演じた「たらちね」のサゲで。前座噺とされているが、ベテランがしっかりと演じるのもまた味わい深いものだと感心しつつも、メモして帰り、急いで意味を調べた。

 そしてつい最近、上野広小路亭で桂歌助が毎月1回、開いている落語会「一笑会」の前座で高座に上がった春雨や晴太の「たらちね」でも「恐惶謹言」に出合う。

 「たらちね」は、長屋の職人、八五郎が嫁を迎える。ところがこの嫁がバカ丁寧な“やまと言葉”を話す。2人のやりとりが何ともおかしい。

 名前を聞かれ、嫁は「自らことの姓名は、父はもと京都の産にして姓はアンドウ、名はケイゾウ。あざ名をゴコウと申せしが、わがわが母33歳の折、ある夜、丹頂を夢見わらわをはらめるがゆえ、垂乳根(たらちね)の胎内をいでしときは鶴女、鶴女と申せしが、それは幼名。成長ののち、これを改め千代女と申しはべるなり」と答える。

 名前は「千代」なのだが万事においてこの調子。自らの亭主を呼ぶときは「あ〜らわが君」。こんなスーパーお嬢さまが、何を間違って長屋の職人のもとに嫁いだのか?

 現代も似たような話が…それ以上は言わない。

 そんな嫁さんとがさつな八五郎とのおかしな新婚生活。ネギ1本買うのに、長屋に出入りのネギ売りをつかまえて、「そこにひかえておれ〜」。ほとんどの落語家は「ははー」とネギ売りに平服させてサゲる。

 ところがまだ先がある。朝寝坊の亭主を起こすに当たって、嫁は「あ〜らわが君、もはや日も東天に出現ましませば、御衣になって、うがい手水に身を清め、神前仏前にみあかしをささげられ、御膳を召し上がってしかるべく存じ奉る、恐惶謹言」。

 そこで八つぁん、「おい脅かしちゃいけねぇよ。飯を食うのが“恐惶謹言”なら、酒をのむのは“よってくだんのごとし”か」でサゲ。

 「よって件(くだん)のごとし」は、証文などの終わりに用いる定型文。「恐惶謹言」と「よってくだんのごとし」。手紙などに書かれる定型文を並べて、「よって」に「酔って」をかけている。シャレが効いていることは確かだが、いまやほとんど使われることがない「恐惶謹言」と「よってくだんのごとし」を知らない人にとっては、何のことだか分からない。現代を生きる観客の前で古典落語をやる上で、こうしたことは共通の課題だろう。

 テレビもラジオも、ましてやネットもない時代、庶民にとって寄席で演じられる落語や講談は知らない物事や言葉を知るテキストでもあった。寄席で庶民は自らの教養を磨いていたといってもいいだろう。

 現代社会でほとんど使われなくなった言葉を「死語」ともいう。だが「死語」の中にも日本人の文化や精神を端的に表す美しい言葉もある。そして初めて聞く者にとってそれは「死語」ではなく「新しい言葉」でもあるのだ。

 いまも昔も、寄席が自らの教養をゆる〜く磨く場であることに変わりはない。「言葉探し」も楽しめる寄席へどうぞお出かけくださいませ。恐惶謹言。(専門委員)

 ◆笠原 然朗(かさはら・ぜんろう)1963年、東京都生まれ。身長1メートル78、体重92キロ。趣味は食べ歩きと料理。

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