宮本亜門の冒険舞台 シンガポールで上演へ

[ 2016年10月4日 08:30 ]

宮本亜門
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 【川田一美津の何を今さら】「え~っ、元気だった?何してたの」

 「変わらないね~、相変わらず若いし」

 何年ぶりだろう。先日、演出家の宮本亜門と久々に顔を合わせた。会った瞬間、お互い思わずハグしていた。同い年。オシャレで明るいキャラは健在。彼の活躍はいつも遠くから気にしていた。最近は、コメンテーターとしての姿をテレビで見る機会もあり、長年、会ってなかったという気がしない。

 再会の場となったのは、亜門が手がける能と3D映像のコラボ「幽玄」の製作発表でのこと。観世流能楽師が演じる「石橋(しゃっきょう)」と「羽衣」の背景に最新テクノロジーを駆使する画期的な舞台だ。「3Dと言うと飛び出すイメージばかりが先行しているが、現代人が忘れてしまった繊細ではかない美しさも表現出来るはず」と亜門。文化交流の促進を目的に10月28日、シンガポールで上演。残念ながら国内で披露される予定はないが、彼のチャレンジ精神と好奇心はますますもって旺盛のようだ。

 取材で知り合ったのは、かれこれ20年以上前のこと。デビュー作「アイ・ガット・マーマン」は本当に面白かった。2台のピアノと出演者3人だけのオリジナルミュージカル。それまで日本にはなかった、シンプルで都会的な作風は、演劇界に旋風を巻き起こした。その勢いのままレコード大賞の司会を務め、コーヒーのCMで「違いが分かる男」にもなった。一時、あまりに忙しすぎて沖縄で充電していた時期もあったが、今となってはそれもよかったのかもしれない。

 こんなこともあった。2001年9月11日、米国で同時多発テロが起きた時だ。自作のミュージカルのトライアルで亜門がちょうどニューヨークにいると聞いて電話をかけた。受話器の向こうでワールドトレードセンタービルに飛行機が突っ込む瞬間を「テレビで見た」と話したのを、私が直接目撃したと取り違えて記事にしてしまった。翌日、その記事を読んだ日本のマスコミから取材が殺到し、説明するのに四苦八苦したらしい。それでも、後日、「もう本当に大変だったんだから」と嫌な顔ひとつせず笑っていた。

 職業柄、いろいろな人と出会うが、なかなか友人のような感覚で話せる相手はそうはいない。彼はその貴重な1人だと勝手に思っている。何を今さらだが、どんな仕事でもやはり大切なことは本人の人柄なのだ。そう思うとついつい応援したくなる。それが人の情というもの。これからも亜門には、幅広いジャンルで活躍してほしいと心から願っている。(専門委員)

 ◆川田 一美津(かわだ・かずみつ)立大卒、日大大学院修士課程修了。1986年入社。歌舞伎俳優中村勘三郎さんの「十八代勘三郎」(小学館刊)の企画構成を手がけた。「平成の水戸黄門」こと元衆院副議長、通産大臣の渡部恒三氏の「耳障りなことを言う勇気」(青志社刊)をプロデュース。現在は、本紙社会面の「美輪の色メガネ」(毎月第1週目土曜日)を担当。美輪明宏の取材はすでに10年以上続いている。

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