「笑ゥせぇるすまん」を生んだ大橋巨泉さんと藤子不二雄A氏の友情

[ 2016年8月2日 10:40 ]

大橋巨泉氏と藤子不二雄A氏

 昭和の名テレビ司会者、大橋巨泉さんの訃報が流れた先月下旬、漫画家の藤子不二雄A氏を取材した。

 2人は40年来の友人。A氏は「巨泉さんは偉いですよ。“病気に負けない”って勉強して、自分で薬を選んで。ゆっくり休んでとしか言うしかない」と長年の闘病をねぎらった。

 巨泉さんと藤子A氏といえばアニメ「笑ゥせぇるすまん」。A氏の漫画「黒ィせぇるすまん」を原作に、二人が出演したバラエティー「ギミア・ぶれいく」(1989~92年)の枠内で全126話が放送された。謎のセールスマン喪黒福造に、ささやかな願いを叶えてもらった人々に、破滅的なラストが待っているブラックユーモアの利いた作品だ。

 同作は、とにかく喪黒のルックスが強烈だった。下膨れの顔、恰幅のいい体型。撫で付け髪に、大きな垂れ目と大きな口。喪黒が巨泉さんをモデルに描かれたのは、ファンには有名な話だ。

 「作品のキャラデザインは、実在の人をモチーフにすることが多い。喪黒の時は、仕事場でデザインに迷っている時に、テレビでドアップの巨泉さんが映った。これは行ける!と思った」とA氏。もちろんアレンジが加わっているが、確かに往年の巨泉さんの面影がある。“怪人”喪黒を得た「せぇるすまん」は大ヒットし、A氏の代表作の1つとなった。

 ギミアで「せぇるすまん」が放送された背景には「大人向けのブラックユーモアの効いたアニメをやりたい」という巨泉さんの意向があったといわれている。

 放送の始まった1989年は“アニメ冬の時代”。80年代前半までにヤマトやガンダムが起こしたブームは去り、アニメは子供とオタクのものと見られていた。

 「せぇるすまん」は、そんな時代に現れた大人向けのアニメだった。劇中で人々が叶えられる願いは、金や女、出世など、普通の大人なら誰しも1度は頭をよぎるものばかり。1度叶えられると、その願いはエスカレートする一方だ。キリの良いところでやめられず、破滅に向かう。大人になるほど、味わい深く感じる話ばかりだ。

 巨泉さんは、競馬や麻雀など以前はテレビで遠慮がちに扱われていた娯楽を積極的にとりあげた。“アニメ冬の時代”をどう見ていたかは語っていないが「せぇるすまん」が今日の日本アニメ隆盛に与えた影響は大きいと記者は思っている。

 A氏にとっても「せぇるすまん」のヒットは大きかったはずだ。87年に藤子・F・不二雄先生とのコンビ「藤子不二雄」を解消したばかり。コンビは児童漫画のイメージが強かったが、A氏は「プロゴルファー猿」「怪物くん」「まんが道」など非常に幅広いジャンルを描く漫画家だ。「せぇるすまん」で、A氏の個性は一般ファンにも広く知られることになった。

 2人は「仕事とは全く関係のないところで知り合い、ゴルフを通じてずっと付き合ってきた」という。仕事上で唯一の接点が「せぇるすまん」。喪黒は2人の友情があったからこそ生まれたキャラクターだった。「テレビで見る巨泉さんは、態度が大きく横柄な人に見えるけどね。実際は繊細な人。喪黒のモデル料払わなきゃいけなかったね」と寂しそうだった。

 A氏自身も昨年、体調を崩し休養中。決して無理はしないで頂きたいが、巨泉さんの物語も描いて欲しい。(記者コラム)

続きを表示

2016年8月2日のニュース