「電撃ネットワーク」三五十五さん力尽く…南部虎弾、追悼ライブ検討

[ 2015年3月5日 05:30 ]

死去した「電撃ネットワーク」の三五十五さん

 パフォーマンス集団「電撃ネットワーク」の三五十五(さんご・じゅうご、本名小林祐司=こばやし・ゆうじ)さんが3日午後11時43分、肺腺がんのため東京都内の病院で死去した。52歳。茨城県出身。葬儀・告別式は近親者で行う。後日お別れ会を開く予定。13年7月に肺がんを公表。昨年12月21日には車椅子姿で舞台復帰していた。

 知人らによると、容体が悪化したのは3日夕方すぎ。首のかゆみをこらえるような苦悶(くもん)の表情を浮かべた。最期は母や姉ら親族にみとられ、赤いつなぎに身を包んだまま静かに息を引き取った。赤いつなぎは、結成25周年を迎えた電撃ネットワークの象徴。メンバー3人は悲報を受けた深夜、病院に駆けつけた。

 がん宣告時には余命1週間と言われ、脳にも転移し、目はほとんど見えず、歩行もままならない状態だった。所属事務所などによると、今年1月中旬から病状が徐々に悪化。家族以外は面会謝絶の状態となり、同下旬には「首が痛い」と苦しそうに何度も訴えていた。関係者によると「闘病生活は離婚した妻や子供たちも支えていた」という。

 昨年12月21日にはメンバーと一緒に一夜限りの舞台復帰。車椅子姿で「せめて足だけでも治して、一刻も早く完全復帰したい」と再起を誓っていた。

 リーダーの南部虎弾(63)はスポニチ本紙の取材に「性格が雑で荒いメンバーたちの、猛獣使いのような存在。サーカスの団長みたいだった」と人柄をしのんだ。病院には、三五さん死去から約1時間半後の4日午前1時頃に到着。闘病生活の苦しみから解放された三五さんの顔は「びっくりするほど穏やかで笑っているように見えた」と話した。亡くなった実感が湧かず「起きろよ!ステージが始まるぞ」などと体をゆすって声を掛けたという。メンバーに呼び掛けて追悼ライブの検討をすでに始めている。

 三五さんは90年に南部らと電撃ネットワークを結成し、司会を担当。海外進出を見据えエンターテインメント性の強い活動をするため、南部が「しゃべりが立つ人間が必要」として同じショーパブに出演していた時に誘った。盟友との別れに「三五十五が大好きな巨人軍長嶋茂雄さんの言葉を借りて“電撃ネットワーク 三五十五は永遠に不滅です”。25年間ありがとう。おかげで、世界中いろんな国でやれたし、普通の人にはできないいろんな経験をさせてもらったよ。ありがとう」とコメントした。

 遺体は病院とは別の都内の施設に安置されている。家族や関係者らが弔問に訪れたが、取材に対して言葉も出ないほど悲しみに暮れていた。

 6日、都内で密葬を営み、遺体は荼毘(だび)に付される。

 ◆三五 十五(さんご・じゅうご、本名小林祐司=こばやし・ゆうじ)1962年(昭37)3月16日、茨城県生まれ。芸名を検討中に競馬の馬券で3と15を買って当たった。電撃ネットワークでは司会のほか、ショー用のサソリなども調達。動物への造詣が深く熱帯魚専門誌にも連載。「ド演歌千三郎」の名前で演歌歌手としても活動。前妻との間に2男。

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