岩波ホール総支配人の高野悦子さん死去 ミニシアター先駆者

[ 2013年2月15日 06:00 ]

死去した岩波ホール総支配人で文化功労者の高野悦子さん

 世界の名作映画を日本に紹介し、エッセイストとしても活躍した岩波ホール総支配人の高野悦子(たかの・えつこ)さんが9日午後2時41分、大腸がんのため東京都文京区の病院で死去した。83歳。旧満州(現中国東北部)生まれ。葬儀・告別式は近親者で済ませた。後日、お別れの会を開く。喪主は岩波ホール支配人でめいの岩波律子(いわなみ・りつこ)さん。9日は岩波ホール創立45周年の記念日だった。

 岩波ホール関係者によると、高野さんは数年前から静脈血栓塞栓(そくせん)症(エコノミークラス症候群)を患うなど体調を崩し、昨年9月に定期検査で大腸がんが見つかった。手術は成功したが、その後、がんが肝臓に転移していることが分かり、入退院を繰り返していた。9日は律子さんら親族が見守る中、息を引き取った。

 日本女子大学を卒業後、1952年に東宝に入社。58年に退社し、映画監督を志してパリ高等映画学院に留学。帰国後、衣笠貞之助監督の助手を務め、テレビドラマの脚本や演出を手掛けた。

 68年、岩波ホール(東京・神田)の創設に伴い、義兄で岩波書店社長だった岩波雄二郎さんに誘われて総支配人に就任。74年、外国映画の配給を手掛けてきた川喜多かしこさんと埋もれた名作映画を上映する組織「エキプ・ド・シネマ」(映画の仲間)を結成。岩波ホールを拠点にインドの「大地のうた」、ギリシャの「旅芸人の記録」、ポーランドの「大理石の男」、米国の「八月の鯨」などを公開し、ミニシアターのブームを呼んだ。

 女性映画人の作品の紹介にも尽力。85年から27年間、東京国際女性映画祭のジェネラルプロデューサーを務め、「女性の視点で仕事をしていくことこそ、大地に足をつけた生き方」を信条に活動してきた。

 映画に愛情を注ぎ続け、名作を広めた功績で菊池寛賞、芸術選奨文部大臣賞などを受賞。04年、文化功労者。東京国立近代美術館フィルムセンター初代名誉館長を務めた。著書は「シネマ人間紀行」「私のシネマ宣言」などがある。さまざまなジャンルで活躍する人・団体、作品に本紙が贈るスポニチ文化芸術大賞の選考委員を93年の第1回から務めた。生涯独身だった。

 9日は岩波ホールの創立45周年の記念日で、岩波ホール関係者は「総支配人らしく、この日まで頑張ってくれたのかなと思う」としのんだ。

 ▼香川京子(女優) 高野さんがパリに留学していた時にはパリで一緒に買い物をしたりと、50年以上の付き合い。いつも落ち着いていて、自分の意見をきちんと言う方でした。女性の監督が少ない時代からいい作品を見いだして上映し、現在のように女性が活躍できる道をつくった方。病気のことは聞いていましたが、もう少し頑張って元気でいてほしかったです。

 ▼小栗康平氏(映画監督) 第1回監督作品「泥の河」の興行的なめどが立たないときに、「いい映画をつくったのですから、慌てる必要はありません」と、その後の道筋を一緒に開いてくれました。作品を育てることで、作り手も観客も育った。高野さんが体調を崩したころから、日本の映画界が悪い方向に進んだようで、ミニシアターが壊滅状態になってしまった。残念です。

続きを表示

2013年2月15日のニュース