「二十四の瞳」に主演…高峰秀子さん死去

[ 2010年12月31日 18:24 ]

死去した高峰秀子さん

 「二十四の瞳」「浮雲」など数多くの名作に出演し、日本映画を代表する女優の高峰秀子(たかみね・ひでこ、本名松山秀子=まつやま・ひでこ)さんが28日午前5時28分、肺がんのため、東京都渋谷区の病院で死去したことが31日分かった。86歳。北海道出身。葬儀・告別式は29日に近親者で済ませた。喪主は夫の映画監督松山善三(まつやま・ぜんぞう)氏。

 1929(昭和4)年、5歳のときに「母」で映画デビュー。名子役として重宝され、「綴方教室」「馬」などの作品でけなげな少女役を好演して注目を集めた。
 戦後は「銀座カンカン娘」や日本初の長編カラー映画「カルメン故郷に帰る」で明るい女性像を鮮やかに演じる一方、小津安二郎監督の「宗方姉妹」などで演技派女優への道を歩み始める。
 54年、瀬戸内海・小豆島の小さな学校を舞台に子どもたちとの師弟愛を描いた木下恵介監督「二十四の瞳」に主演。心優しい女教師を演じて感動を呼び、生涯の代表作となった。
 翌年には成瀬巳喜男監督の「浮雲」に主演。女性のもろさや悲しみを深みのある演技で表現して絶賛され、トップ女優として不動の地位を築いた。同監督とのコンビでは「稲妻」「あらくれ」「乱れる」など数多くの名作を生み出した。
 このほか、「喜びも悲しみも幾歳月」「無法松の一生」「名もなく貧しく美しく」などに出演し、日本映画の黄金期を支えた。79年「衝動殺人 息子よ」を最後に引退を宣言した。
 エッセイストとしても活躍。赤裸々に半生を記した「わたしの渡世日記」(日本エッセイストクラブ賞)や「おいしい人間」などの著書がある。
 高峰さんは10月下旬に体調を崩して入院。肺がんと診断され治療を続けていたが、27日に容体が急変したという。

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2010年12月31日のニュース