[ 2010年2月20日 06:00 ]

昨年のホール・オペラ「ドン・ジョヴァンニ」のカーテンコール

次の「ドン・ジョヴァンニ」はキリスト教、とりわけローマ・カトリック教会の教えを真っ向から否定していると解釈することが出来よう。それは、主人公が稀代のプレーボーイでたくさんの女性を弄んだからではない。クライマックスで騎士長があの世から蘇り「悔い改めよ!」と迫るがジョヴァンニは最後まで屈しない。「悔い改め」はキリスト教の教義の中で、とても重要な行為だ。これはカトリック、プロテスタントを問わず共通している。自らの罪を認識し、それを神に告白して許しを乞う。話は少し逸れるが筆者は音楽などの取材でヨーロッパに出掛けた際には必ず、その街の教会を訪れることにしている。平日の昼間に礼拝堂で佇んでいると告解室から出てくる人を見かけることがしばしばある。告解室とは礼拝堂の片隅に設えられた小部屋で中には神父がいて、信者はそこで自らの罪を告白し、神父を通じて神に許しを乞うのだ。こうした様子から「悔い改め」は、21世紀の現代でもキリスト教徒が大切にしている行為であることが分かる。それをジョヴァンニは強く拒否していることが重要なのだ。だから、騎士長の亡霊によって地獄に引き込まれたのだ、と反論する向きも多いと思う。しかし、自由を叫び命を失ったとしても信念を曲げなかった主人公の姿にある種の清々しさを覚えるのは筆者だけではないはずだ。モーツァルトとダ・ポンテは、自らの思いをこの稀代のプレーボーイに仮託していたことは容易に想像できよう。

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2010年2月20日のニュース