[ 2010年2月13日 06:00 ]

 コンシェルジェは、樫本が今、このプログラムに挑む意味合いをこう分析しています。

「ベルリン・フィルというひとりひとりの楽員が、並のソリストよりは断然高い技術を持ったスーパー・オーケストラの中で、揉まれながらコンマスを務める。さらに指揮台に立つのはラトルをはじめ超一流の指揮者ばかり。ソリストとしての活動が重点だった彼にとって、ここでのコンマスとしての日々は新たな刺激の連続であるに違いない。それが彼の音楽に好ましい変化や進歩をもたらすことも容易に想像できる。バッハの無伴奏はヴァイオリニストとしての“素”の部分が表に出やすい作品だけに、今、樫本にどんな変化が起きていて、今後、音楽家としてどんな方向に進んでいくのか。彼にとっては日本の聴衆にそうしたことを示す格好の機会であると同時に、音楽家としての深みがどれだけ増したのかも試される真剣勝負の場となるはず」。
 最後に、個人的な期待感について、述べさせていただきます。「人は見かけによらない」と言いますが、私はもうすぐ2年になるクラシック鑑賞歴の中で「音楽家は見かけによる」のではないかとの経験則に、確信を持ちつつあります。なぜなら音には、本人の全てが投影されるからです。樫本に対する私の印象は「ベビーフェイスで自然な笑顔を絶やさない、さわやかなる青年。その実、苦しさを表に出さずに努力を積み重ねる、懐の深さを持ち合わせている人物」というものです。自分の世界を前面に押し出していくよりも、作曲家が楽曲に込めた真意を探り当てたり、聴き手や周囲を気遣ったりする力があるのではないかと思えるのです。(つまり、コンサートマスターに向いているのではないかと。)
コンシェルジェが10年前、弱冠20歳の樫本をインタビューした時、このように言っていたそうです。「聴いている人が難しそうだと感じるような弾き方では、ダメ。そうならないように演奏するのが、ぼくの目標です」。ショスタコービッチのヴァイオリン協奏曲第1番という難曲を楽々と弾いてのけた後でのコメントだそうです。そして10年後の今、樫本は今回のリサイタルに向けて、意気込みをこう語っています。「僕にとって、バッハを演奏することは、常に最も自然なことであると同時に最も難しいものだ」。自身にとって大切にしている曲を、どのような姿で聴かせてくれるのでしょうか。名前のとおり、大きく進化しつづけるヴァイオリニスト樫本大進から、ますます目が離せません。(小谷 和美)

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2010年2月13日のニュース