“歌謡界の生き字引”名司会者・玉置宏さん逝く

[ 2010年2月13日 06:00 ]

名司会者で、横浜にぎわい座館長だった玉置宏さん

 「1週間のごぶさたでした」の名調子で知られた司会者の玉置宏(たまおき・ひろし、本名・宏行=ひろゆき)さんが11日午前10時33分、脳幹出血のため神奈川県内の病院で死去した。76歳。川崎市出身。葬儀は12日に近親者のみで済ませた。後日、お別れの会を開く。流麗な語り口で親しまれた歌謡番組司会の第一人者の悲報に、多くの歌手らが悲しみに暮れた。

 玉置さんは4日午後、脳の中の血管が破れて倒れ、病院に搬送された時は意識がなかった。同日夜には、館長を務める劇場「横浜にぎわい座」に仕事をキャンセルする連絡が家族から入り、容体が気遣われていた。関係者によると、倒れる以前から頭痛を訴えたり、ろれつが回らないこともあったという。
 意識不明の危篤状態が続く中、夫人と長男の雅史さん(38)が交代で付き添い、一時は回復の兆しも見えたという。しかし、10日に容体が急変。翌11日、息を引き取った。
 うがいは欠かさず、自宅のどの部屋も同じ温度に保つなど、司会者としてのどには気をつけていた玉置さん。体調を崩すようになったのは1年半ほど前から。08年3月、自らNHK「ラジオ名人寄席」に持ち込んで放送した落語の音源の一部が、収録したTBSに許可なく使用されていたことが発覚。番組は打ち切られ、司会を務めていたテレビ東京「昭和歌謡大全集」も降板した。関係者は「あれ以来、急速にやつれた。酒量が一気に増え、支えてもらわないと歩けないぐらい飲むようになった。この数カ月はペットボトルに酒を入れて持ち歩くこともあった」と明かした。
 明治大学卒業後の56年に文化放送入社。同社第1号男性アナウンサーとしてキャリアをスタート。58年に歌手の故三橋美智也さんの勧めでフリーに転じ、同年から19年続いたTBS「ロッテ歌のアルバム」や67年スタートの「象印スターものまね大合戦」の冒頭のあいさつ「1週間のごぶさたでした」は当時の流行語になった。
 「玉置節」と呼ばれた独特の間と七五調のナレーションは、幼少期に東京・深川育ちの父親に手を引かれて通った寄席で学んだもの。「歌謡界の生き字引」と言われたが、当初は知識ゼロ。新聞、雑誌をくまなく調べ、レコード会社からのテスト盤を聴いて勉強した。歌手やタレントからの信頼は厚く、決して“裏話”を語らず、スキャンダルの渦中の歌手をかくまったこともあった。
 落語など演芸に造詣が深く、02年からは大衆芸能の拠点として開設された横浜にぎわい座の館長に就任。日本司会芸能協会会長も務めた。好きな言葉は「一語一笑(いちごいちえ)」。場の和ませ方を追究し続けた司会人生だった。

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2010年2月13日のニュース