清志郎さん“ラストライブ”に4万人超ファン

[ 2009年5月10日 06:00 ]

大勢のファンが詰め掛け開かれた歌手忌野清志郎さんの葬儀・告別式

 がん性リンパ管症のため2日に死去したロック歌手、忌野清志郎(本名・栗原清志)さん(享年58)の本葬となる「葬儀式」が9日、東京都港区の青山葬儀所で執り行われた。サザンオールスターズの桑田佳祐(53)ら音楽仲間のほか、約4万2000人のファンら計約4万3000人が参列。弔問の列が途切れず、過去最大級の葬儀となった。俳優の竹中直人(53)、大竹しのぶ(51)らが弔辞を読み、「ロック界のキング」と別れを惜しんだ。

 生前の歌声が大音量で流れる中、弔問の列が延びた。その距離4・5キロ。最寄りの東京メトロ乃木坂駅と青山一丁目駅から、折り返し地点を3カ所作っても列は続き、近くの青山公園にも待機場所をもうけたほど。式が始まった正午から夕方になっても長さは変わらず、午後10時40分の閉門まで途切れなかった。
 前日の雷雨から一転した“雨あがりの空”の下、司会者の「忌野清志郎の“青山ロックンロールショー”にお越しいただきありがとうございます」のあいさつで開始。その声にファンが「ウォーッ!」「キヨシローッ」と叫ぶ姿は、まるで清志郎さんのラストライブ。読経も線香も賛美歌もない。黒白でなく、紅白の幕が祭壇を囲んだ。
 一番乗りは、前日の8日午後10時から並んだ北海道帯広市在住の酪農家(39)。「いまだに信じられない。僕らに夢を与えてくれた忌野清志郎は永遠に不滅です」と“ロック界のミスター”に例えた。
 午前11時の開門から流れ続けた歌は「トランジスタ・ラジオ」「スローバラード」など計46曲。名古屋市の会社員、三浦浩太さん(37)は「友人が4年前、清志郎にあこがれて始めた自転車で事故死した。その時は憎んだけど、残された清志郎のCDを聴いてアイツが好きだった理由が分かったし、いまでは自分も。きょうは3日間かけて自転車で来ました。アイツも天国で清志郎に会えて喜んでいると思う」と話した。
 会場の外には、うさぎ年の清志郎さんが自らデザインしたトレードマークの「ひとはたウサギ」の巨大バルーン(全長12メートル)が登場。年越しライブで使ったコタツや「ザ・タイマーズ」時代のヘルメット、坂本龍一とのヒット曲「い・け・な・いルージュマジック」のポスターなどがにぎやかに飾られた。
 遺影は縦1メートル50、横1メートル20のビッグサイズ。位牌も高さ1メートル以上。横幅16・2メートルの祭壇の前にはステージが組まれ、自宅のスタジオ「ロックンロール研究所」にあるギター、ベース、アンプなど愛用品が並んだ。バックバンドメンバーによる「雨あがりの夜空に」の生演奏もあった。
 午後10時50分、最後に献花したのは都内の主婦(47)。この時点で約200人が居残り、別れを惜しむように「アンコール!」と声をからした。そして関係者と「雨あがりの夜空に」をフルコーラスで合唱し「ボス、愛してます!」と夜空に向かって叫び合った。
 ファンの列に最も感激していたのは、景子夫人(53)、長男の竜平さん(20)、長女の百世さん(17)。自宅に一度帰ったものの「こんなに多くの方が集まってくれて。できる限りお礼を言いたい」と閉門直前に再び訪れ、目を潤ませた。

続きを表示

2009年5月10日のニュース