ミキハウス・木下真吾 TJ手術から復活期す富士大出身の2年目左腕「レベルアップした姿を見せたい」

[ 2026年2月7日 09:00 ]

実戦復帰に前進しているミキハウス・木下
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 期する思いは人一倍強いものがある。入社2年目を迎えたミキハウス・木下真吾投手(23)は左肘の手術を乗り越え、完全復活へ着実に近づいている。

 「1年目は投げられないもどかしさや、力になれない悔しさがありました。そういう思いを2年目以降にぶつけるために準備してきました。自分の持ち味は安定感だと思いますし、どんな場面でも最少失点で切り抜けて、守り勝つ野球に貢献したいです」
 
 富士大の4年だった24年11月に左肘内側側副じん帯再建術(通称トミー・ジョン手術)を受けた。入社1年目の昨季は大半の時間を地道なリハビリに費やしたが、既にブルペンでの立ち投げを再開。直球に加え、カーブ、チェンジアップを40球程度投じられるまでになった。出力も全盛時の7~8割程度まで回復。待望の実戦復帰に明るい見通しが立つ。

 真上から投げ下ろす直球の最速は147キロ。スライダー、カットボール、チェンジアップも抜群の制球力を誇る。大学時代、安田慎太郎監督から教わった「3球で2ストライク1ボールをつくる」が投球の信条。打者一人、一人に全力で向かっていくスタイルだったが、入社後はエース・桜井俊貴の「余力があって、ピンチになれば要所要所でギアを上げる」という投球術に新たな学びを得ることができた。

 「手術後、1年は投げられないという中でミキハウスさんに拾っていただき、また野球ができる環境をつくってくださり感謝しています」

 一度は野球を諦めた。大学3年の全日本大学選手権2回戦・中部大戦で左肘内側側副じん帯を損傷。保存療法を経て、同年冬には再生医療であるPRP(多血小板血漿)注射を試みた。4年秋の北東北大学リーグ・青森大戦で1年2カ月ぶりに公式戦で登板。球速も戻りつつあった八戸学院大戦(24年9月15日)では7回から救援したが、今度は投球の際に左肘内側側副じん帯を断裂してしまった。度重なる悲劇。試合後、寮へ戻ると、真っ先に父・敦夫さん、母・惠さんへ電話をかけた。

 「もう、野球できんかもしれん。なんで肘2回もケガして、俺ばっかりこんな思いせんといけんのやろう」

 大ケガを負ったこともさることながら、これまで自分のことを応援してくれた両親に対し、顔向けができなかった。期待に応えることのできないもどかしさとやるせなさ。木下はただただ、泣くことしかできなかった。

 木下自身は気持ちに区切りをつけるつもりでいたが、周囲は諦めていなかった。「もう、ここで野球を辞めていいのか?」。安田監督からはそう問いただされた。そして、木下の背中を押すように、恩師は進路に関してあらゆる可能性を探ってくれた。

 両親も諦めてはいなかった。

 「真吾が野球に対して思い残すことないんやったら辞めてもいいと思う。やけど、やり残したことは一つもないって言えるん?」

 最終的な決め手になったのは同級生の存在だった。24年10月24日のドラフト会議では、オリックス1位で麦谷祐介、広島2位で佐藤柳之介、育成も含めると実に6人が指名された。

 「6人も指名されて、悔しさもありました。そこで野球に向き合う熱がよみがえったというか、このまま終わったら年を取った時に後悔すると思って。親にも頭を下げて、手術させてもらうことに決めました」

 ドラフト会議終了から程なくして、トミー・ジョン手術に臨んだ。11月下旬には安田監督とともに、ミキハウスの陣田匡人監督と面談。まだ左肘はギプスで固定されたままだったが、陣田監督から「一緒に野球やろか」とありがたい言葉をもらい、入社する決意を固めた。

 チームとして2年ぶりの都市対抗出場を狙う今季。木下は力を込める。「肘を完璧に治して、ケガをする前よりもレベルアップした姿を見せたい」。ミキハウスの一員として、東京ドームのマウンドを必ず踏みしめる。  

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