【内田雅也の追球】大幅なオーダー変更でものにした2度の好機 マクロな視点が連覇を呼び込む

[ 2024年4月15日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神2ー1中日 ( 2024年4月14日    バンテリンD )

3月、オープン戦の試合前に談笑する吉田義男氏(左)と岡田監督
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 監督として岡田彰布と吉田義男を語る際、日本一となる1985(昭和60)年に有名な逸話がある。8月12日、あの日航機墜落事故で当時球団社長の中埜肇も犠牲となった。チームに動揺が走り、翌日から後楽園で巨人に3連敗を喫した。

 広島に移動した16日、選手会長だった岡田は選手を集め、ミーティングを開いた。どうすれば勝てるのか。投手陣が弱かった。出てきた具体策を監督の吉田に直言した。

 「中西(清起)と福間(納)さん、山本和行さんを、オールスターのように3回ずつ投げさせてください」。好調だった救援投手リレーは今で言う「ブルペンデー」か。

 吉田は「それはできん」と却下した。岡田は後に「皆が優勝するために考えた。一丸となる機運が高まった」としたうえで「無茶な要望だった」と認めている。その場しのぎのアイデア、目の前の1勝、連敗阻止だけを考えたミクロの視点でしかなかったわけだ。

 監督なら、シーズンを見通した長い目、マクロの視点が必要なのだ。この大局的な見方が岡田最大の持ち味とみている。

 この日の勝利で、岡田は阪神監督としての通算勝利数が吉田に並んだ。吉田にも学んだマクロと目の前に固執するミクロの視点が混ざっていた。

 低調打線を大幅なオーダー変更で臨んだ。固定メンバーを是とする岡田が打った強烈なカンフル剤である。木浪聖也から近本光司の流れは従来のまま残した。初めて4番から大山悠輔を外し重責をといた。新打順に座った梅野隆太郎と中野拓夢が適時打を放った。大いなる刺激になったのだ。

 得点圏に走者を進めたのは2度だけ。その2度とも適時打が出た。いずれも価値ある「2死後打点」。あれほど「あと1本」が出なかったが少ない好機をものにした。優勝した昨年、よく見た試合巧者ぶりだ。たとえばロッテ・佐々木朗希からワンチャンスで1点をもぎ取り、競り勝った。

 試合前までのチーム得点圏打率は12球団最低、唯一1割台の1割7分6厘だった。統計上、こんな低打率のままシーズンが進むとは考えられず、2割5~6分で収束するとみている。トンネルを抜ける光は見えている。

 対戦5カードが一巡した。大きな声では言わないが、強敵は見当たらなかった。打線不調のなか、借金2は想定内だろう。マクロの視点で連覇は見える。さあ、これからである。 =敬称略=
 (編集委員)

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