【内田雅也の追球】阪急の遺産継承 活気みなぎる阪神の「全員ノック」

[ 2023年2月3日 08:00 ]

宜野座ドームでノックを受ける阪神ナイン(撮影・後藤 大輝) 
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 阪神キャンプ地、沖縄・宜野座村には夜明け前に猛烈な雨が降った。朝、球場入りした監督・岡田彰布はぬかるんだグラウンドを確かめ、「無理せんでええよ」とコーチ陣や阪神園芸のスタッフに伝えた。「まだ、この時期やから。昼からバッティングできれば十分」と午前中はドーム内での練習を決めた。

 それでも予定のメニューはすべてこなした。狭いドーム内で「全員ノック」も行った。初日に続き、2日連続である。

 「全員ノック」は野手を3組(時に4組)に分け、全員でノックを受ける。阪神伝統の名物練習である。

 リーグ優勝、日本一となる1985(昭和60)年のキャンプで当時監督の吉田義男が命名したと伝わる。「全員一丸となって」が口癖だった吉田は「選手もノッカーも全員が声を出し合い、士気を高め、一丸となるのが目的」と話していた。さらに「下半身強化にもつながる」と、今も受け継がれている。

 この日は3組で、ゴロ捕球した三塁の位置から一塁送球、二塁の位置から遊撃送球、外野フライ捕球に分かれた。15分ずつ、場所を入れ替えて行った。ドーム内に声が響いていた。音響効果もあり、活気がみなぎっているように感じた。

 この「全員ノック」の始まりは古く、阪神が高知県安芸市で初めてキャンプを張った1965(昭和40)年2月にさかのぼる。キャンプ中、阪神フロント陣が高知市の阪急キャンプを視察すると4組に分かれて全員でノックを受けていた。監督・西本幸雄考案の練習だった。この練習方法を監督・藤本定義に報告。阪神でも採用したそうだ。当時、マネジャーだった中村和臣(現名・和富)から聞いた話である。

 阪急にならったわけである。親会社が同じ大阪―神戸間に電車を走らせる阪急とは球団創設時から戦前、戦後とライバル関係にあった。阪急の球団身売り(88年)、阪急、阪神の経営統合(06年)と両社の歴史は因縁深い。今や、阪急出身の杉山健博が阪神球団オーナーを務める時代である。

 岡田はキャンプインに際し「このユニホームを着ると、伝統の重みを感じる」と話した。その愛について「阪神というよりタイガース」と微妙な言い方をしていた。歴史的に言えば、阪急の遺産を継承した形の阪神「全員ノック」は何とも興味深い。 =敬称略=(編集委員)

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2023年2月3日のニュース