阪神ドラ3・井坪 兄とはケンカの毎日 「いつか兄を超える」の少年時代が原点

[ 2022年12月2日 05:15 ]

阪神新人連載「七人のトラ侍」 ドラ3、関東第一・井坪(上)

指名あいさつを受けた阪神ドラフト3位の井坪は贈られたドラフト通行証とマスコット人形を手に笑顔 (撮影・西川祐介)
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 3人きょうだいの末っ子・陽生の野球選手としての基礎は、1学年上の兄・朝陽(あさひ)さんと過ごした日々で作られた。

 予定日より10日遅い2005年3月17日に陽生は大きな産声を上げた。体重は4160グラムのビッグベビー。「太陽のように周りのみんなを明るく照らす存在になってほしい」。そう願いを込めた両親は「陽生」(ひなせ)と名付けた。

 野球と初めて出合ったのは4歳の時だった。父・英彦さん(54)の知人が地元・八王子リトルでコーチをしていた縁で体験会に参加。「私は野球経験はなかったけど、(男の兄弟)2人には野球をさせようと思っていた」と英彦さん。最初は主にティーボール専用球(軟らかい素材のボール)を使用。ティー打撃の際に使用するスタンドの上に乗せたボールを打った直後、目の色が変わった。野球に一目ぼれした瞬間だった。「入りたい!」。朝陽さんと一緒に入団を即決し、野球人生がスタートした。

 本格的に硬式球に触れたのは小3の頃だった。最初のポジションは投手。ポジションが決まってからは兄と自宅前でキャッチボールをするのが日課となった。ただ、普段は仲のいい兄弟も、どちらかが暴投すると即、ケンカに発展することも日常だった。

 「仲良く行ってきますと言って家を出て、3分ぐらいで家に帰ってくるのが常でした」

 母・朋子さん(53)は苦笑いを浮かべながらも懐かしそうに振り返る。そんな活発で負けず嫌いの2人を見かねた朋子さんは、あることを決めた。ウルトラマンやヒーロー戦隊のような「戦い」を連想させるテレビの視聴を禁止とした。「2人はすぐに(戦隊ものの)マネをして遊びからケンカに発展してしまうので…」という理由からも、純粋さがうかがえた。

 常に兄の後を追いかけて遊んだ日々。その大きな背中を見ながら成長していった陽生が小学生高学年になった頃だった。ある一つの目標を立てた。「いつか兄を超える」。きっかけは朝陽さんが小6の時に西武ライオンズJr.に選出された。一方の陽生は選考漏れ。「もっと野球がうまくなりたい。お兄ちゃんのように代表へ選ばれる選手になる」。そう心に誓って中学でも同じ八王子シニアで白球を追った。

 そして中3の夏、ついに頭角を現した。中学硬式野球のNo・1を決める全国大会のジャイアンツカップで躍動。2回戦の富山シニア戦。両翼97・6メートル、中堅121・9メートルのジャイアンツ球場の左中間中段に放った推定飛距離130メートル弾。「あれは印象に残るホームランです」。強烈なインパクトを残した一撃でU15アジアチャレンジマッチ日本代表の一員に選出された。「素直にうれしかった」。少しだけ兄と肩を並べられたような気がした。その頃、朝陽さんは名門・日大三(東京)野球部の1年生。同じ高校に進学するか、苦悩の日々が続いた。 (石崎 祥平)

 ◇井坪 陽生(いつぼ・ひなせ)2005年(平17)3月17日生まれ、東京都八王子市出身の17歳。4歳から野球を始め小3から「八王子リトル」で投手。七国中では「八王子シニア」に所属し3年時にアジアチャレンジマッチでU15日本代表に選出される。関東第一では1年秋に4番に座るも、レギュラー定着は2年秋。高校通算32本塁打。50メートル走6秒0、遠投100メートル。1メートル77、86キロ。右投げ右打ち。

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