“ミスター赤ヘル”山本浩二氏 古葉さんは全てお見通しだった 恩師を追悼

[ 2021年11月17日 05:30 ]

75年、セ、リーグ優勝を決め祝勝会で美酒をあびる(左から)衣笠、古葉監督、山本
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 「赤ヘル旋風」の中心として当時、広島の主軸を担ったのが山本浩二氏(75)。打線の中心として古葉広島を支えた衣笠祥雄さんの3年前の死去に続き、黄金期を率いた恩師・古葉竹識さんの死を悼んだ。

 やさしそうで厳しい人だった。妥協は絶対に許してくれない。私には腰痛の持病があり、前にかがめないほどひどい状態のときだった。出場は無理だと思って広島市民球場に行ったら「歩けるなら走れる。走れるならゲームに出られる」と言ってスタメンに入れられた。かがめないから外角を捨て、一本待ちした内角球。払うようにバットを出し、その場でクルッと回ったらホームラン。おかげで内角打ちが身についた。

 これも腰痛がひどかった夏場の神宮球場。同点で迎えた8回1死三塁の場面で打席が回ってきたときだ。古葉さんがベンチから出てきて「スクイズするか?」と言う。カチンと来た。「打ちます」と言って右翼席へ決勝2ラン。プライドを刺激すれば発奮するのが分かっていたのだ。

 コーチ兼任になった84年は開幕から不振が続き、8月に打順を11年ぶりの6番に下げられた。さらに3試合続けてスタメンから外され、頭にきて1週間か10日ほど口をきかなかった。その後4番に戻って調子を上げ、優勝に貢献。あとで古葉さんに「後半必ず大事なときがくる。そのとき頑張ってもらうために休ませたんだ」と聞かされた。全てお見通しだったのだ。

 そんな古葉さんの下で初めて優勝の喜びを知った。その味を覚えたら、また勝ちたくなる。11年に及ぶ古葉さんの監督在任中に4度の優勝。どんなに感謝しても、したりない。

 3年前に僚友の衣笠祥雄が逝った。今年1月には高橋里志。そして今度は古葉さん…。赤ヘル黄金期がどんどん遠くなっていく。時代とはいえ、寂しくてたまらない。(広島東洋カープ元監督)

 ≪大野氏「名も知れぬ私を…」≫77年にテスト生として広島入りした大野豊氏(本紙評論家)は「カープに入団して最初の監督であり、厳しい中で愛情のある指導の下、成長させていただいた」と振り返った。プロ2年目の78年に41試合、日本一になった79年は58試合に登板するなど、古葉監督に才能を見いだされた一人。「名も知れぬテスト生だった私を我慢強く使っていただいた。本当に感謝の言葉しかありません」と別れを惜しんだ。

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