巨人V9支えた中村稔さん死去 82歳 投手コーチ時代は斎藤雅樹のサイドスロー転向を藤田元司監督に進言

[ 2021年6月19日 05:30 ]

1990年、ブルペンでの桑田投手の投球を、藤田監督(左端)とともに見守る中村さん(中)
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 巨人は18日、投手として活躍し、投手コーチを務めた中村稔(なかむら・みのる)氏が今月2日夜に死去したと発表した。82歳だった。三重県出身。死因は非公表で、葬儀は家族葬で執り行われた。

 関係者によると、5月19日に都内の病院に入院。夫人には1年前に先立たれ、英国で暮らす娘が帰国して看病していた。中村氏は「娘が帰ってきて助かったよ。6月半ばには退院できるよ」とうれしそうに話していたが、帰らぬ人となった。

 宇治山田商工(現宇治山田商)から1957年に巨人に入団。61年にチーム最多の17勝を挙げて川上哲治監督の初優勝に貢献し、V9初年度となった65年には20勝を挙げ黄金期を築いた。69年の引退後は巨人で1軍の投手コーチを2度務め、藤田元司監督に手腕を買われた。「こんなにいい投手を先発にしないともったいない」と才能にほれ込んだのが、斎藤雅樹。サイドスローへの転向を藤田監督に進言し、エースに育てた。最近は評論家活動の傍ら、敬愛大野球部のコーチを務めた。

 ◆中村 稔(なかむら・みのる)1938年(昭13)9月28日生まれ、三重県伊勢市出身。宇治山田商工から57年に巨人入り。V9初年度の65年には自己最多の20勝を挙げ日本一に貢献した。69年限りで現役引退。日本シリーズに4度、オールスターに3度出場。引退後は巨人で投手コーチを務め、70~72、74~77年は2軍、81~83、89~92年は藤田元司監督の下で1軍を担当した。97、98年にはロッテ1軍投手コーチ。右投げ右打ち。

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