DeNAの宮城滝太 育成3年目右腕、背水イヤーに誓う母への恩返し

[ 2021年6月1日 05:30 ]

昨季、イースタン・リーグでトップタイの5勝を挙げたDeNA・宮城
Photo By スポニチ

 DeNAの宮城滝太(だいた)投手(20)は育成契約で最終年の3年目。昨季イースタン・リーグでトップタイの5勝をマークした右腕は今季もチーム2位(5月29日現在)の8試合に登板して23回2/3で1勝1セーブ、防御率2・28の成績を残している。夢に描く1軍での白星と母への恩返しを目標に、必死に腕を振り続ける。

 先発、中継ぎでフル回転する宮城が手応えを感じた登板がある。4月28日の西武戦だ。

 「思い通りに体が動いた。めちゃくちゃよかった。そのとき球速の最速も更新した」

 昨年10月に左肩を手術し2軍調整中だった先発・今永からバトンを受けて8回から登板。2回2安打1失点で最速は1キロ更新の149キロを計測した。「自分は投球時のバランスが悪い。でもしっくりきた」と振り返る。

 軸足の右足一本で立ち続ける体幹トレなどに精力的に取り組んできたが、3年目でようやく「理想」に近づいたマウンド。入団時の最速が142キロだったとあり「成長は感じる」という。育成契約の最終年ではあるが「焦りはない。考え込むこともあるけど、結果は出ると思う」と支配下登録への青写真はすでに描き終えている。

 2軍の春季キャンプ地である沖縄・嘉手納町出身。プロ野球選手を身近に感じられたことが、今につながっている。「小学生時代に野球教室にも参加した」と述懐。31歳で同じ育成選手である田中健に感銘を受けた。「野球教室で教えてもらった。今一緒なのは不思議だけど本当に尊敬できる」と恩師の存在に感謝している。

 女手一つで育ててくれた母・さとみさん(40)への感謝は強い。「妹、弟もいて苦労したと思う」と当時を振り返る。高校は県外の滋賀学園に野球留学。金銭面でも援助を受けた。恩返しの思いを胸に野球に精進し、センバツのマウンドに立って雄姿も見せた。

 プロ野球選手になったとはいえ、まだ育成契約で背番号は「100」だ。「1軍で勝って、母を喜ばせたい」と宮城。心に決めている。支配下契約の証である2桁の背番号を手に入れ、さとみさんにプロ初白星を届ける。(大木 穂高)

 ◇宮城 滝太(みやぎ・だいた)2000年(平12)7月15日生まれ、沖縄県出身の20歳。中学では硬式野球の「読谷ボーイズ」に所属。滋賀学園(滋賀)では17年センバツで2回戦の福岡大大濠(福岡)戦に先発。18年育成ドラフト1位で入団。20年はイースタン・リーグで5勝し最多勝利賞を受賞。1メートル81、80キロ。右投げ右打ち。

続きを表示

2021年6月1日のニュース