ふんどしとパンツ 勝負に臨む名参謀・秋山真之と阪神・矢野監督

[ 2021年3月25日 13:40 ]

第2弾の「勝負パンツ」を手にする阪神・矢野燿大監督
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 【内田雅也の広角追球】1907年(明治40)年秋、慶大野球部は初来日したハワイ・セントルイス軍を迎え、三田綱町グラウンドで対抗試合5連戦を行った。

 わが国初の有料試合と伝わる。1等60銭、2等30銭、3等10銭だった。

 第1戦(10月31日)を延長13回、5―3で勝利した慶大だが、第2戦(11月9日)2―4、第3戦(11月12日)0―4、第4戦(11月14日)1―10と3連敗を喫した。

 この試合を連日観戦していたのが大日本帝国連合艦隊の名参謀、秋山真之だ。司馬遼太郎の『坂の上の雲』の主人公である。2年前、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破っていた。

 同郷松山の親友、正岡子規と一緒にプレーするなど野球好きだった。

 日本の名誉のためには何としても勝たねばならない。秋山は11月18日の最終第5戦を前に、連戦連敗の慶大に向け、書簡を送っている。

 『褌(ふんどし)論』である。<武士が戦場に臨むにも、相撲取りが土俵に上るにも、あるいはまた碁打ちが碁盤に対するにも、すべてその方面の勝負にはこれなくては叶わぬ>と、ふんどしを締める必要を説く。

 <効用は「決して睾丸(こうがん)の保護にはこれなく、実に左記のごとき偉大なる効能これある>と列挙している。

 一、心気を丹田に落ち着け、従って逆上を防ぎ、知力、気力の発作を自在にすること
 二、腹部に体力を保持し 従って腕力の発作を大にすること
 三、気息を容易にし従って息切れを防ぐこと
 四、身体の中心と重心とを一致せしめ 従って体を軽くし歩速を増加すること

 秋山は日露戦争中もふんどしを締めて艦橋に上がった。江戸時代の例も引用し、ふんどしの締め方を説明。野球では<五十間(約91メートル)飛ぶ球は六十間(約109メートル)飛び、五秒かかるところを四秒で走り、三度の過失が二度ですむ>と勧めている。

 最後に<両国の御勝負は実に帝国腕力の名誉に関する>として、大学予備門当時の野球経験を記したうえ<老婆心>から書簡を送ったと心情を記している。

 秋山のふんどし激励が効いたのか、慶大は最終戦で前半に5点をあげ、反撃をかわして5―4と競り勝った。『慶應義塾野球部史』に<掉尾(ちょうび)の試合を飾るにふさわしい試合ぶり>とある。書簡は慶大に保管されていたが、戦災で焼けてしまったそうだ。

 昔から「ふんどしを締めてかかる」と言われるのは、それなりの効果があるのだろう。

 時は今、阪神監督・矢野燿大は勝負に挑む際、赤いパンツをはく。就任1年目の2019年、レギュラーシーズン最終盤を6連勝でクライマックスシリーズ(CS)進出にすべり込んだ。この時、連日赤いパンツをはいていたと明かした。同じ赤い色のパンツが何種類かあって、毎日はいていたそうだ。

 この逸話を受け、球団では昨年開幕前、「矢野監督の勝負パンツ」を発売すると、数週間で完売した。

 そして、今年も開幕前の今月18日から「勝負パンツ第2弾」を販売している。営業部課長の河内英人は「昨年、非常に好評でしたので、今年も販売を決めました」と話す。赤いパンツは同じなのだが、第2弾にはトラのしま模様が入っている。「大きなサイズもほしい」との声を受け、M、Lに加えXLサイズも追加した。税込2400円。公式オンラインショップ「T―SHOP」や甲子園のチームショップ「アルプス」、ファンショップ「ダグアウト」で買える。

 あの野村克也も監督時代、ラッキーカラーというピンク色のパンツで試合に臨み、勝てば同じ色のパンツで通したそうだ。

 矢野が赤いパンツをはいていたのもあくまで験担ぎだが、勝負に臨むには「ふんどしを締める」気構えも必要だろう。

 さあ、プロ野球が開幕する。勝負師たちの験担ぎの日々が始まる。=敬称略=(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963(昭和38)年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高―慶大卒。85年入社から野球記者生活36年。2007年から大阪本社発行紙面で掲載のコラム『内田雅也の追球』は15年目を迎えている。

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