【内田雅也の追球】「ボールボーイ」「野球史家」の大航海 佐山和夫さん野球殿堂入り

[ 2021年1月15日 08:00 ]

野球殿堂入りし、日本高等学校野球連盟の庭にある銅像の前で話す佐山和夫さん(代表撮影)
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 野球殿堂博物館は14日、特別表彰でノンフィクション作家で日本高校野球連盟顧問の佐山和夫氏(84)、日本代表監督でアトランタ五輪で銀メダルに導いた社会人野球指導者の川島勝司氏(77)に殿堂入りしたと発表した。競技者表彰は23年ぶりに該当者がなかった。佐山氏について編集委員・内田雅也がコラムを寄せた。

 佐山和夫さんは「人生で一番、世の中で一番驚いた」と目を丸くした。7日に受けた殿堂入りの電話に息が詰まった。「声が出なかった。お礼も言えなかった非礼をおわびしたい」

 本来、殿堂ホールで行う通知式は新型コロナウイルスの影響でリモート開催。大阪・江戸堀の日本高校野球連盟(高野連)・中沢佐伯記念会館から謝辞を述べた。

 ノンフィクション作家として野球の歴史を掘り下げた研究、著作で野球の魅力や価値を広めた功績は大きい。アメリカ野球学会(SABR)会員で米国でも高く評価される「野球史家」である。

 1997年、日本高野連・牧野直隆会長(当時)の諮問機関「21世紀の高校野球を考える会」専門委員の中心となり、提言をまとめた。「勝利至上主義や猛練習体質からの脱却」「勉強やボランティアで活躍する野球部員の顕彰」「アジアなど国際交流の推進」……などで、その後の指針となった。99年には高野連顧問に就いた。

 2001年、選抜大会に困難克服、地域貢献など模範となる学校を選出する21世紀枠ができた。

 96年夏、日本高校選抜に同行し渡米。ボール―ストライク順のカウントコールに戸惑う選手を目の当たりにした。国際化に向け、世界中で日本だけのストライク―ボール順を改めるように提言。翌97年から高校野球で変更、2010年にはプロ野球も同調した。

 『野球とアンパン』(講談社現代新書)で日本式カウントコールの謎を取り上げた。和洋折衷の思想だとアンパンを例に考察している。

 転機となる著書は05年3月の『野球、この美しきもの。』(水曜社)だろう。<正直にいって、私は今、ある反省に立つ>と告白した。<アメリカ野球に巣くう影の部分をことさらに小さく扱ってはこなかっただろうかという反省だ>。マグワイアやボンズらのステロイド使用、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の大会運営や判定で米国寄りの独善が目立っていた。イカサマや薬物に汚れたアメリカの惨状を伝え、武士道やフェアプレー精神に満ちた日本の素晴らしさを見直した。『大リーグが危ない』、『日本野球はなぜベースボールを超えたのか』と相次いで出し「高校野球は世界遺産」と主張した。

 日本の野球殿堂には選手や監督などユニホーム組、機構・連盟や球団経営者の背広組はいるが、文化人は異例だ。過去に戦前の野球記者・太田茂(筆名・四州)や毎日新聞記者・鈴木美嶺、NHKアナウンサー・志村正順や俳人・正岡子規が見られる程度だ。

 「何しろ、最高球歴が小学生時代のボールボーイですから」。45年終戦時は和歌山師範学校付属国民学校(今の和歌山大教育学部付属小学校)3年生。父親は和歌山中(現桐蔭高)の教師で敷地内の官舎で暮らした。帰宅するとグラウンドに出て、野球部の練習を見ながら裏山や塀際でボールを拾った。親交が深まり、46年夏の全国大会(西宮)では一緒に宿に泊まった。

 母親は夜なべして、胸に「W」の同じユニホームを作ってくれた。「物資不足のなかスフの布を手に入れ、縫ってくれる姿を眺めていました。今回、一番喜んでくれているかと……」と声を詰まらせた。

 父親の転勤で転居し、田辺高から慶大文学部を卒業。会社員、高校英語教師の後、田辺市内で英語塾を開いた。

 82年6月10日付新聞で「伝説の名投手死去」という小さな記事に胸が騒いだ。渡米取材し、黒人リーグ、サチェル・ペイジの評伝を『史上最高の投手はだれか』(84年・潮出版社)にまとめた。48歳で出した初の野球著書が評判となり、作家生活に入った。

 「野球はマラリアと似ている。どちらもぶり返すのだ」と大リーグ4球団で監督を務めたジーン・モークの談話を引用した。「子どもの頃の思いがよみがえった。打席に立ち、振ってみるとボールが当たってくれた」。次々と著書を出した。

 『ヒーローの打球はどこへ飛んだか』(86年・TBSブリタニカ)で人道支援に尽くしたロベルト・クレメンテの生涯を描いた。選手の社会貢献活動をたたえる大リーグのロベルト・クレメンテ賞を日本でも創設すべきと運動し、ゴールデンスピリット賞ができた。

 個人的にも感慨深い。入社4年目の88年、著書に感銘を受け、電話帳で自宅を調べて手紙を書き、電話を入れた。桐蔭高野球部出身、慶大後輩の親しみもあってか、実に丁寧に応対していただいた。拙著『若林忠志が見た夢』(彩流社)を契機に阪神球団が社会貢献活動を表彰する「若林忠志賞」を創設した際には慰労と祝意のファクスをいただいた。

 昔も今も、色紙に座右の銘を求められると「野球は無限」と書く。「野球は奥が深い。まだまだ知りたいことは尽きません」
 現在の野球規則を確立させたアレクサンダー・カートライトを追った『野球とクジラ』(河出書房新社)に野球のダイヤモンドを海に見立てた思想が出てくる。船乗り(打者)は海に出て、港(塁)に立ち寄り、無事に母港(本塁)に帰ること(得点)を目的とする。少年時代の夢を追い、大海原にこぎ出した佐山さんは何度も生還を果たした。そして今もまた、打席に立ち、ダイヤモンドを駆け巡ろうとしている。(編集委員)

 ◆佐山 和夫(さやま・かずお)1936年(昭11)8月18日生まれ、和歌山県出身の84歳。田辺高から慶大に進み会社員、新宮高や田辺高の教員を経てノンフィクション作家に。『史上最高の投手はだれか』で潮ノンフィクション賞(84年)、『野球とクジラ』でミズノスポーツライター賞(93年)。ベーブ・ルース学会、アメリカ野球学会(SABR)でも表彰を受けた。日米野球史や野球の原型競技を調査した多くの著書がある。日本高校野球連盟、甲子園歴史館顧問。選抜21世紀枠特別選考委員。

 ▽野球殿堂 日本野球の発展に貢献した人たちの功績を称え、顕彰することを目的に1959年(昭34)に創設された。プロ野球で功績のあった競技者表彰(プレーヤー表彰、指導者も対象にしたエキスパート表彰)と、審判員やアマチュアを含め球界に貢献のあった人が対象となる特別表彰がある。選出はいずれも投票で75%以上の得票が必要で、競技者表彰のプレーヤー表彰は取材経験15年以上の記者(約360人)が投票。今回で競技者表彰98人、特別表彰は111人となった。来年は元広島・黒田博樹氏らが新たに候補となる。

 ○…日本高野連・田名部和裕理事(74)が佐山氏のゲストスピーカーを務めた。事務局長時代の99年に顧問として招へい。「勝者をたたえるだけではなく、フェアプレーの実戦、周囲への好影響、困難の克服など、価値観の多様性を評価し、今も根付く学生野球の理念を私どもに求めてこられた」。01年からの21世紀枠制度、選手宣誓の立候補制なども、佐山氏の助言がきっかけになったことを説明した。

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