【惜別球人】中日・阿知羅 7年間で1勝…でも「未練なし」

[ 2020年12月29日 05:30 ]

19年5月5日に初勝利を挙げ、与田監督(左)と握手を交わす阿知羅
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 出会いもあれば、別れもある。球界は別離と、新たな旅立ちの季節だ。楽天からドラフト1位で指名された155キロ左腕・早川隆久投手(22=早大)ら、育成選手も含めて新たに123人がプロの門を叩く。一方で、多くの選手がユニホームを脱ぎ、次なる人生をスタートさせる。年末恒例の「惜別球人」。今年は上下2回に分け、第1回はセ・リーグ編。

 阿知羅はアスリートとして生きた足跡を消したくなかった。柔道整復師の資格取得を目指し、来春から専門学校に進む。一時は就職も考えたが、スポーツの現場で役立ちたい思いが勝った。

 「10年以上、スポーツをしてきて、プロでも7年過ごした。ゼロから違うことをするのも面白いが、経験を生かすにはどうしたらいいか考え、体の勉強をしたいと思った」

 11月3日に戦力外通告を受け、その場で引退を決めた。毎年クビになる同僚を目の当たりにし、今年の成績なら…と覚悟はできていた。「未練はなかった。別のことをやるなら早いうちがいい」。

 一番の思い出は19年に挙げたプロ初勝利。就任した与田監督に先発の一角として見いだされ、5月5日のヤクルト戦で5回2失点に抑えた。「使ってもらって、お立ち台にも立てた」。7年間で唯一の白星だった。「思っていたのとは真逆のプロ野球人生だった」。成績は残せなくても「自分なりに100%やった。後悔することはない」と胸を張った。

 トレーナーを目指すのか、整骨院などを開くのか。新たな未来図を描くのはこれから。「資格を取って、まずはそこから」。白球をペンに持ち替え、勉強漬けの毎日が始まる。(徳原 麗奈)

 ◆阿知羅 拓馬(あちら・たくま)1992年(平4)11月20日生まれ、大阪府出身の28歳。中3夏に日本代表として世界少年野球大会優勝。大垣日大では3年春に甲子園に出場し、背番号10ながら4強に貢献。JR東日本を経て13年ドラフト4位で中日に入団。1メートル90、95キロ。右投げ右打ち。

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