【藤川球児物語(3)】生き方に大きな影響を与えた野村監督の教え

[ 2020年11月15日 10:00 ]

98年12月、入団会見で野村監督(左)に活躍を誓う藤川
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 プロ野球選手として最初の監督・野村克也と顔を合わせたのは98年12月21日だった。忘れもしない。阪神・藤川球児が誕生した日だった。

 
 大阪・梅田のホテルで行われた新入団選手の発表会見。お決まりの金屏風の前で、藤川はプロとしての誓いを口にしていた。
 
 「10年後の自分は3回くらい優勝を経験しています。胴上げ投手も1回くらいはやっていると思う」
 


 気持ちを高めて、口にしたセリフだったが、会場の反応は鈍かった。18歳の高校生の発言をほほえましく受け止めるのはまだいい方で、「ビッグマウスの新人や」という反応もあった。
 
 無理もない。阪神は低迷期。98年も最下位に終わり、三顧の礼を尽くして、野村を監督に迎えたばかり。95年は6位、96年も6位、97年は5位という状況。「優勝」の2文字は遠い存在だった。
 
 だからこそ、藤川は誓った。必ず3回は優勝してみせる―。プロとしての原点を忘れない。誓った言葉を胸にスタートを切ったのだ。
 
 野村とのやりとりも記憶に残っている。
 「野球の方は大丈夫か?」
 「はい」
 「140キロは出るんか?」
 「出ます」
 「高校生で140キロが出たら、大したもんや」
 
 会見での堂々とした受け答えに、野村も何かを感じた。「野球の他にも才能を持っていそうだ。タレントにもなれる。二足のわらじでいこうか」と笑顔を見せた後、プロとしての心得を説くことも忘れなかった。
 
 「目標なり、夢なり、自分がどんな選手として活躍するかをイメージすることが進歩の早道や。目的意識をしっかり持ってやってほしい」
 
 最初の教えが、藤川の生き方にも大きな影響を与えた。目標と夢。22年間、球界を代表する投手は常にそれを意識しつづけた。

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2020年11月15日のニュース