田淵幸一氏 出会いに恵まれた野球人生…忘れられない星野さんの言葉「ブチ、阪神で良かったんだ」

[ 2020年11月15日 20:40 ]

野球殿堂入りトークイベントで現役時代の秘話を披露した田淵幸一氏
Photo By スポニチ

 今年1月に野球殿堂入りした田淵幸一氏(74)の殿堂入り記念トークイベント「ホームラン・アーチストの軌跡」が15日、文京区の野球殿堂博物館内で行われ、現役時や引退後の秘話を披露した。当初は6月に開催予定ながら、新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期され、当日も会場内は28人のファンに限定。代わりに関西や九州地方へオンラインで中継された。

 法政一高から始まった田淵氏の野球人生。ここでアマ時代の恩師・松永怜一氏(89)の出会いが大きかった。「本当に厳しい方。アメとムチのアメがない」。当初は甲子園どころがプロなど夢のまた夢。「だから大学野球で頑張ろう」。幸運にも田淵氏の法大進学と同時に、松永氏も同大野球部監督へ。同期の山本浩二氏、故富田勝氏と「法政三羽ガラス」と恐れられ、田淵氏も当時の東京六大学リーグ記録(立大・長嶋茂雄氏の8発)を更新する22本塁打まで伸ばした。

 当時は巨人ファン。「ドラフト前に川上さん(当時巨人監督)に呼ばれ、フグをごちそうになった。背番号2を用意しているとも言われた」。ところが指名順位が先の阪神から1位指名され落胆した。ただ後日、星野仙一氏から「ブチ、阪神で良かったんだ。お前はONの山を越えられない」と言われ、納得したという。

 入団直後はバッテリーを組む江夏豊氏(72)から年下にもかかわらずダメ出しを食らった。「ブッちゃん、今のキャッチングじゃボールにされる。ミット動かさないで」。ホップする江夏氏の直球に、ミットが上にずれる。田淵氏は2キロの鉄アレイを購入。左手首を必死に強化した。

 16年間の現役人生では通算474本塁打をマーク。1975年に初めて本塁打王に輝くが、78年11月、西武へのトレード、そこで出会った広岡達朗元監督(88)との思い出話に花が咲いた。「厳しいことばかり。何クソ、それなら優勝して見返してやるって。本当に優勝しちゃった」。82、83年には日本一にも輝いた。

 84年に引退。90~92年ダイエー監督を経て、星野氏が阪神監督に就任した01年オフにはトレードでわだかまりのあった古巣のチーフ打撃コーチに就任。「仙ちゃんから“一緒にやるぞ”と言われ、OKと即答だよ」。03年、星野氏の監督勇退に伴い退団した。

 約1時間のトークイベント。最後に田淵氏は「野球人生50年、ボクは出会いに恵まれたね」としみじみ話した。 

続きを表示

2020年11月15日のニュース