中日・吉見 こん身K締め!「15年間、幸せなプロ野球人生でした」最後まで「先発」貫く

[ 2020年11月7日 05:30 ]

セ・リーグ   中日4―5ヤクルト ( 2020年11月6日    ナゴヤD )

<中・ヤ>ラスト登板を終え、花束を手にスタンドの声援に応える吉見(撮影・椎名 航)
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 「ありがとう」――。現役最後のマウンドに上がった中日・吉見は、勇気をもらい続けたプレートに感謝を込め、右手で5回、丁寧に土を払いのけた。

 「この球場に育ててもらったので、無意識に近い形で“ありがとう”という言葉を伝えました」

 ラスト登板も慣れ親しんだ先発が用意された。初回、先頭・山崎への初球、136キロ直球をど真ん中に投じると拍手が沸き起こる。最後は1ボール2ストライクからの4球目、こん身の138キロ直球で空振り三振に仕留めた。交代を告げられると、最後もプレートの土をきれいに払いのけ、「このような場所を用意していただいて感謝しかありません」と静かに勝負の舞台を降りた。

 「精密機械」と呼ばれた制球力を武器に、エースへと登り詰めた右腕がこだわってきたのは「試合の空気を読むこと」。150キロを超す剛速球や切れ味抜群の変化球はない。だからこそ18・44メートルの空間を読み、打者と駆け引きを繰り広げてきた。

 打たれたらどうしよう―。マウンドに上がる度、恐怖感でいっぱいだったが「プレートは踏むと、プラスにさせてくれる場所だった」と勇気をもらっていた。自身を足元から支えてくれたプレートは61センチのただの板ではなかった。

 引退スピーチでは、前日5日に8年ぶりにAクラス入りを決めた後輩たちにエールを送った。

 「選手の皆さん、ドラゴンズは強いです。もっともっと強くなると思います。独走したジャイアンツを倒して優勝して、与田監督を男にしてください」。そう呼びかけると、後輩1人1人と握手を交わし、強竜復活を願った。

 ナゴヤドームにはチームを支えた山井や浅尾(現2軍投手コーチ)、OB岩瀬仁紀氏だけでなく、自主トレ仲間だったソフトバンク・千賀や石川も背番号「19」の吉見ユニホームで駆けつけ、最後の勇姿を見届けた。

 「15年間、幸せなプロ野球人生でした。野球の神様、ありがとう!」。黄金時代を築いたエース右腕が、現役生活に別れを告げた。(徳原 麗奈)

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