西武・栗山巧だけじゃない 男が惚れる球界のいい男たち

[ 2020年9月5日 08:00 ]

2000年10月13日に31歳の若さで死去したダイエー・藤井将雄さん
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 【君島圭介のスポーツと人間】打席に入るとき、栗山が捕手に向かって「ナイスホームラン!」と声をかけたという。捕手は直前の回にプロ初本塁打を放ったロッテの新人・佐藤都志也。入団前から憧れの人に栗山の名前を挙げるファンだ。うれしかっただろう。

 おそらく栗山は自分を慕う相手だから声をかけた訳ではない。例え相手チームでも球界の後輩だ。人として重んじるべき礼節を持った男だから、主将としても長い間ライオンズの選手たちに支持されたのだ。

 男が惚れるといえば楽天で内野手兼打撃コーチを務める渡辺直人も、その一人だ。10年オフに一度は楽天と契約更改を済ませたが急きょ、横浜(現DeNA)へ金銭トレードが決定。突然の別れを受け入れられなかった同僚の鉄平、草野大輔、嶋基宏らが契約更改の会見で次々に涙を流した。渡辺の男っぷりがよく分かるエピソードだ。

 「人たらし」という言葉が似合ったのは故星野仙一氏。普段からイメージ通りのコワモテぶりだが、久しぶりに取材に行くと「たまにしか来んくせに」と悪態をつきながらも「で、何や?」といつも耳を傾けてくれた。

 星野氏が中日で監督をしていた頃、ナゴヤドームのナイター前にお忍びで上京したことがあった。重病で入院した恩師を見舞うためだった。空港から病院を往復したハイヤーの運転手さんが、病院で見送りに来た恩師の娘らしき女性の両手を握りしめ、「きっと大丈夫ですから」と励ます星野氏の姿を目の当たりにした。
 帰りの車中、バックミラーには病院ではこらえていた涙をひそかに流す星野氏の姿が映っていた。ベンチで腕を組んで仁王立ちする闘将とは違う暖かい人物像が垣間見えたという。それが田淵幸一氏や山本浩二氏ら、稀代のスーパースターが「仙ちゃん」と惚れ込んだ男の素顔だった。

 いい男は他にもたくさんいる。それぞれに浮かぶ顔があるだろう。最後に、ダイエー(現ソフトバンク)が誇った中継ぎエース・藤井将雄氏について触れたい。

 00年10月13日、黒潮リーグを開催中の高知市内。ダイエーの若い選手たちが泣きながら歩いてきた。理由を聞くと「信じられない。藤井さんが亡くなった…」という。リーグ連覇から6日後、31歳という若さだった。

 99年にリーグ最多の26ホールドを記録し、初優勝に貢献。中日との日本シリーズにも2試合に登板し、日本一にもなった。先輩に可愛がられ、後輩に慕われ、同期の心強い戦友だった。
 弟のように可愛がられた若田部健一と巨人に移籍していた工藤公康は火葬まで立ち会い、同年の日本シリーズ第1戦では藤井氏を弔うように投げ合った。

 小久保裕紀、松中信彦、城島健司、斉藤和巳らは藤井氏を悲しませないように、と歯を食いしばり、ダイエーを今ある常勝軍団に育て上げた。背番号「15」はソフトバンクになった今も藤井氏がつけたままになっている。(専門委員)

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2020年9月5日のニュース