牛島和彦氏 敬遠せず勝負したあの一球…そして「10・19」は伝説になった

[ 2020年5月9日 06:15 ]

我が野球人生のクライマックス

牛島は代打・梨田に勝ち越しとなる中前適時打を打たれる
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 その一球が伝説を生み、球界の歴史を変えた――。スポニチの野球評論家が、自身の忘れ得ぬ試合やシーンを振り返る「我が野球人生のクライマックス」。牛島和彦氏(59)は、ロッテ時代の1988年10月19日の近鉄とのダブルヘッダー第1試合(川崎)にリリーフ登板。今もファンに語り継がれる伝説となった「10・19決戦」での一球が今も脳裏に深く刻まれている。(構成・鈴木 勝巳)

 1ボールからの2球目だった。ダブルヘッダー第1試合の9回2死二塁。時計の針は午後6時に近づき、川崎球場には照明がともされていた。打席には代打・梨田。牛島は内角に鋭いシュートを投げ込んだ。詰まった打球。「よし、打ち取った」。しかし白球は中堅手の前にポトリと落ちる。決勝打。この一球、この一打が歴史の歯車を大きく動かした。

 「一塁は空いていた。普段なら敬遠だと思うけど、ベンチの指示はなかった。僕も一瞬考えた。どうする、勝負するか…」。スコアは3―3。ダブルヘッダーの1試合目は9回打ち切りが規定で、あと1アウトを取れば近鉄の勝利はなかった。連勝が条件だった逆転優勝の可能性はその時点で消える。梨田がこの日を最後に現役を引退することも知っていた牛島は、決断した。

 「梨田さんにとっては最後の打席かもしれない。歩かせて、それで盛り上がるかなと…。真っ向勝負をした方が、結果がどちらに出たとしてもいいと思った」。ロッテはこの時点で最下位だった。連勝で逆転Vを狙う近鉄、その勝敗を待つ西武。「ウチは勝っても負けても(双方のファンから見て)悪者になる。打っていいのか、抑えていいのか…。ロッテも苦しかった」。試合前のミーティング。選手らは「勝ちたい、ではなく、とにかく全力を尽くすことだけを考えよう。力を出し切ること。それが一番、相手に失礼じゃなくなる」と確認しあい、試合に臨んだという。

 結果的に牛島は打たれ、敗戦投手となった。忘れられない一球。その記憶と、超満員のファンで埋まったスタンドの光景は、今も一つになって脳裏に刻み込まれている。当時は「人気のセ、実力のパ」。特に川崎球場は常に空席が目立ち、外野スタンドでキャッチボールや麻雀をするファンまでいた。86年オフに中日からトレードで移籍した牛島も、あまりに大きな格差を肌で感じていた。

 その川崎球場が3万人の観客で埋まっている。ファンの熱気が押し寄せてくる。周辺のビル、マンションの屋上も人が鈴なりになっていた。「僕も普段から、何とかお客さんに入ってほしいと思っていた。ロッテの優勝が懸かっていればもっと良かったけど…。それでもうれしかった」。第2試合。ベンチを外れた牛島はロッカーで中継の映像を見ていた。4―4。延長10回引き分けに終わり、近鉄は優勝を逃した。もし牛島が敬遠を選択していたら、梨田の詰まった打球が落ちなかったら…。歴史のif。「10・19決戦」の伝説は生まれていなかった。

 「いいかげんな勝負はしていない。しっかり勝負したことは僕自身にもプラスになったし、何よりホッとした。あれでいろんな歯車がかみ合って、“10・19”というものが世に残った。見えない力みたいなのを感じた」

 決戦の裏で同日には阪急のオリックスへの身売りが発表された。9月には南海のダイエーへの売却も決まっていた。近鉄球団も04年に消滅。激動の時代を経て、現在のパ・リーグはかつてない隆盛を誇っている。牛島が投げ、打たれ、熱狂の渦となった川崎球場も、今はもうない。(敬称略)

 ≪梨田、試合後に引退表明≫牛島から決勝打を放った梨田は10・19決戦を花道にユニホームを脱いだ。第2試合も守備で途中出場。しかし打席に立つ機会はなく、試合後に正式に引退を表明した。「昨年から(故障で)プレーできる状態ではなかった。それだけに優勝してユニホームを脱ぎたかった」。引退後は近鉄、日本ハム、楽天の監督を歴任。現在は新型コロナウイルスに感染したため入院中だが、集中治療室(ICU)から一般病棟に移るなど回復が伝えられている。

 ◆10・19決戦 1988年10月19日に川崎球場で行われたロッテ―近鉄のダブルヘッダー。2位・近鉄は首位・西武に0.5ゲーム差で連勝が逆転Vへの条件だった。第1試合は4―3で勝利。第2試合は8回に4―3と勝ち越すも、その裏にロッテ・高沢のソロで同点に。結局、4時間を超えて新しいイニングに入らないとの規定のために延長10回で引き分け。2厘差で西武が優勝した。川崎球場には午後4時の時点で満員札止めとなる3万人のファンが詰めかけ、テレビ朝日が急きょ生中継。平均視聴率30.9%を記録した。

 ◆牛島 和彦(うしじま・かずひこ)1961年(昭36)4月13日生まれ、大阪府出身の59歳。浪商(現大体大浪商)では「ドカベン」香川伸行とバッテリーを組み3度甲子園に出場し、3年春に準優勝。79年ドラフト1位で中日に入団した。86年オフに落合博満との1対4のトレードでロッテに移籍。87年に最優秀救援投手賞に輝いた。オールスター出場5度。通算成績は395試合で53勝64敗126セーブ、防御率3.26。05~06年に横浜(現DeNA)監督を務めた。

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