【タテジマへの道】大山悠輔編<下>2つの夢叶えた「有言実行」

[ 2020年5月6日 15:00 ]

16年7月の日米大学野球選手権で日本代表に選出された大山

 スポニチ阪神担当は長年、その秋にドラフト指名されたルーキーたちの生い立ちを振り返る新人連載を執筆してきた。いま甲子園で躍動する若虎たちはどのような道を歩んでタテジマに袖を通したのか。新型コロナウイルス感染拡大の影響で自宅で過ごす時間が増えたファンへ向けて、過去に掲載した連載を「タテジマへの道」と題して復刻配信。今日は、16年ドラフトで1位指名された大山悠輔編(下)を配信する。

 つくば秀英で当時コーチを務めていた森田健文監督(31)の計らいで選手寮「誠心球道館」では塚原と同部屋になった。約3カ月半の共同生活で「オンとオフの切り替えの大事さ」を教わった。

 1年夏から「3番・遊撃」に定着。「とにかくおとなしくて存在感が薄かった。学校でもそう。猫背で全然目立たなくて。体はでかいのに教室にいてもどこにいるのか分からないくらい」(森田監督)。なのに試合になれば「常に打っていました」(同)。投手兼遊撃手で高校通算30発。2年夏の8強が最高で、3年夏は土浦三との初戦に2―4で敗れた。「悔しいというより信じられませんでした」。現実を受け入れられず、涙を流すことさえ忘れた。

 プロ球団のスカウトからは注目を集める存在だった。誘いを受けていた白鴎大への進学か、プロ志望届の提出か。決断したのは9月だった。父・正美さんを加えた話し合いで森田監督から言われた。「今でも下位指名か育成なら可能性はある。でも、4年間大学で鍛えてからプロに行った方がいいんじゃないか」。入学当初からプロ志望が強く、即答できなかった。帰り道。父と2人きりの車中で突然声を上げた。

 「決めた。俺は白鴎大にいって、大学JAPANに入って、絶対にプロに行くよ」

 伝え聞いた森田監督は驚きを隠せなかった。「感情を表に出さないあいつがそんなこと言うなんて、よほどの決意があったんでしょうね」。悩んだ末に進んだ白鴎大で、誓いを現実のものにする。

 白鴎大に進学した悠輔は1年春からリーグ戦に出場するなど、技術的には何の問題もなかったが、別の部分で一つの課題を抱えていた。当時助監督だった黒宮寿幸現監督(45)が明かす。

 「声が出なくて、暗くて、大丈夫か?と思うぐらい。技術はほとんど教えてないですね。『グラブに当てたら絶対離すな』『声を出せ』とか。とにかく精神的な部分です」

 才能は秀でており、将来があるからこそ「心」の部分の成長を求められ、厳しい指導が施された。4年になったあるオープン戦では想定外の“叱責”も受けた。不動の4番打者として、その試合でも途中まで4打数4安打1本塁打の活躍を見せていた。だが、同点で迎えた9回の5打席目は三振に倒れて試合が引き分けに終わると、その後のミーティングで指揮官から怒りの声が飛んできた。

 「なぜあそこでホームランが打てないんだ!4本打てて5本目が打てないのはなぜだ!5打数4安打は絶対に許さない。だったら5の0で帰ってこい!」

 悠輔は「言われた瞬間は正直、なんでだろう?と思いました」と戸惑いを隠せなかった。だが、言われるからには絶対に理由が存在する。「冷静になって考えると、その1本が出るか出ないかが、チームにとってどれだけ大きなことなのか。それがわかったんです」。4番打者とは…を再認識した出来事だった。以降、フェンス直撃の長打を放っても「あと2、3メートル飛ばないのはなぜなのか」など、見えない「何か」を常に追究するようになった。

 そんな悠輔のターニングポイントになったのが4年春のリーグ戦。平成国際大に1勝2敗で勝ち点を落とし、チームは空き週(試合のない週)に入った。そこで黒宮監督がチームに『10日間で1万スイング』のノルマを課した。全てティー打撃という地獄の特訓だったが、同監督はその時、悠輔の目の色が変わったことに気がついた。「なにかが降臨したという感じ。鬼気迫るというか、気迫が変わった。もうこの子に教えることはないなと思いましたね」。一つの殻を破った悠輔は5月16日の上武大戦で2本塁打を放ち勝利に貢献。勝負どころで打つ、頼りになる男へ生まれ変わった。リーグ新記録の8本塁打、リーグタイ記録20打点を記録し、7月の日米大学野球の日本代表にも選出された。

 入学時の目標の一つであった日本代表入り。しかも4番打者の重責も担った。結果は全5試合で計15打数2安打の打率・133、本塁打&打点はともに0。150キロ前後の球速に加え、小さく変化する球に対応しきれなかった。「自分の力のなさを感じました。もっとうまくなりたいと思わせてくれる、良い経験になりました」。悔しい思い出となったが、東京六大学や東都大学の強打者を押しのけ4番に座ったことは、その名を全国に広めるきっかけになった。

 迎えた10月20日のドラフト当日。「驚きすぎて、言葉にならなかったです」という阪神からの単独1位指名。まさに「あっ」という間に二つ目の夢が実現した。小学生で野球の楽しさを知り、中学・高校で悔しさを知った。大学で栄誉をつかむと同時に未熟さも知った。さらなる成長を信じ、悠輔はまだ見ぬ“大海”に飛び込む。(2016年11月1日~2日掲載 一部編集 おわり)


 ◆大山 悠輔(おおやま・ゆうすけ)
1994年(平6)12月19日生まれ、茨城県出身の21歳。小1から野球を始める。つくば秀英では投手兼遊撃手で2年夏に茨城大会8強。甲子園出場経験なし。白鴎大では1年春から三塁手で出場。4年春にはリーグ新記録8本塁打を放ち、20打点で打点王。大学日本代表の4番も務めた。1メートル81、85キロ。右投げ右打ち。

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