グリエルも「やられた」 松坂、6年越しの「逆球作戦」

[ 2020年4月20日 06:46 ]

第2回WBC 2次ラウンド1回戦 ( 2009年3月15日    ペトコ・パーク )

09年3月、WBC2次Rキューバ戦、6回5安打無失点8奪三振の好投で勝利を挙げた松坂。打者はグリエル
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 【忘れられない1ページ~取材ノートから~】第1回、第2回とWBCを連覇した侍ジャパン。いずれもMVPに輝いたのは西武・松坂大輔投手(39)だった。レッドソックスの一員として参加した09年の第2回大会では、2次ラウンドのキューバ戦で6回5安打無失点、8奪三振の快投。その要因ともなった「逆球作戦」に迫る。(倉橋 憲史)

 サンディエゴのホテル。先ほどまで対峙(たいじ)していたキューバの主砲とエレベーターで顔を合わせた。「勝利、おめでとう。やられたよ」。その声の主は後にDeNAでもプレーし、現在アストロズに所属するグリエルだった。

 数時間前、松坂はそのキューバを相手に6回無失点で8三振を奪い勝利を呼んだ。「逆球作戦」。グリエルの言葉は、それを指したものだった。

 2回。ベンチで松坂は城島と話し合った。「キューバベンチからコースを伝える声が出ていると。構えたコースの逆に投げようと話をしました」。3回の3アウトは全て見逃し三振だった。想定と逆のコースを突かれ、手が出ず、5回からはキューバベンチから声も消えた。

 ここまでは本人も明かしているが、実は「逆球作戦」には歴史がある。5年前の04年。アテネ五輪の予選リーグ、キューバ戦。同国との初対戦で、松坂はコースを指示する声が聞こえていた。その時のバッテリーも城島。「極力構えを遅らせる。大丈夫だよな」。ベンチでの城島の問いかけに「もちろん。問題ないです」。極端に言えばリリース寸前まで動かなかった。
 「アテネの時は城島さんが極限まで動かない形で対処しました。北京五輪の時も、テレビで見ていて声が出ていると感じた。だから今度は逆球。うまくいきました」と登板翌日、足を止めて話してくれた。後に「上機嫌だったですね」と聞くと「相手に伝わることも想定してましたから」といたずらっぽく笑った姿は今も覚えている。

 あの試合で松坂はもう一つの使命を背負っていた。米国に渡ってからの2次ラウンド初戦。唯一のメジャー投手参戦でダルビッシュ、岩隈ら若い投手陣の異国の地での不安を払しょくする快投が必要だった。「本来なら、準決勝以降で対戦することも考えて手の内を隠すこともできましたが、後ろに投げる投手のことを考えて、引き出しをあけ、全力で抑えにいきました」。連覇、2大会連続MVPを手にした右腕は投手陣全体を見ていた。

 グリエルとの立ち話には続きがある。「いつかメジャーでプレーしたい。対戦を楽しみにしているよ」。16年7月にアストロズ入りしたグリエルだが、松坂は15年に日本に戻った。10年以上も国を背負った2人の対戦はその後実現していない。グリエルは「マツザカはオレの時には必ずギアを上げる。それが分かるんだ。国を背負ってプレーする。日本のマウンドには必ず彼がいた」。ライバルであり戦友だった。

 09年第2回WBCから10年たった昨年11月のプレミア12で、侍ジャパンは再び頂点に立った。「代表でしか味わえないことがある。しびれる戦いは僕の中で財産となっている」と松坂。来年3月に第5回WBC、夏には東京五輪がある。選手の覚悟が問われる。

 世界一の歓喜から数カ月後。松坂は股関節を痛め、大会で無理して投げたことを明かした。それこそ、最大の驚きであった。

 【記者フリートーク】聞かれたことにしか答えない。だからうそはない。西武入団時から変わらぬ松坂に対する記者の印象だ。だが、09年のWBCはだまされた。2月の代表合宿中に投球ペースを上げず「異変は?」と聞くと「何もないです」との答え。そして数カ月後。初夏のころに「実は股関節をやってました…すみません」と打ち明けられた。

 チームにも伝えておらず、イチローからは「何で(辞退を)言わなかったんだ!バカだろ」と言われたという。それでも「故障していても投げるすべは知っていましたから」。負けていたら批判にさらされていた。

 3試合のキューバ戦で万全で投げたことはない。04年アテネ五輪では右上腕部に打球を当て、06年WBC決勝では首痛の中で先発した。日本代表のエースを10年務めた平成の怪物は「僕にとって代表で投げることは大げさに言えば命懸けです」。今の時代、国際大会で故障を抱えながら投げようとする投手はいないだろう。

 ≪内角意識させてから外へ、コース別割合を記し分析≫日本では16日早朝にTBSで生中継された試合。平均視聴率は、午前6時からの2時間半で24.6%(関東地区、ビデオリサーチ)を記録し、瞬間最高視聴率は29.9%。時差と注目度を踏まえ、投球分析に重きを置いたメインの記事は「大一番での快投には確かな理由がある」と書き出した。打順1、2巡目に内角を意識させて3巡目は外へ。そのコース別割合も記された。「最初のうちに内を意識させられたので、結構開いて打ってくる打者が多かった」と松坂。技術の粋が集められた投球に、2番手の岩隈は「松坂さんに勇気をもらった」。山田久志投手コーチは「どんなにお礼をしてもしきれない」と称えた。

 ≪松坂の08年以前のキューバ戦≫ ☆アテネ五輪予選リーグ(04年8月17日)無安打に抑えていた4回1死にグリエルの打球が右上腕部を直撃するアクシデントも続投を志願。150キロ台の直球を連発し、9回1死まで3失点。五輪で過去5戦全敗だったキューバから歴史的初勝利をもぎ取った。

 ☆06年第1回WBC決勝(06年3月20日)当日朝に首に違和感を覚えたが、鹿取投手コーチに「行けます」と話し、4回1失点と好投。「数多くの国際試合を戦ってきて、その経験をフルに生かすことができた。初めて大事な試合で結果を残せた」。大会3勝でMVPも獲得した。

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