【内田雅也の猛虎監督列伝~<1>初代・森茂雄】初優勝を置き土産に15試合で解任

[ 2020年4月20日 08:00 ]

タイガース初代監督・森茂雄=「阪神タイガース 昭和のあゆみ」

 球団創設85周年を迎えている阪神の監督は1936(昭和11)年の初代・森茂雄から現在の矢野燿大で34代目(25人目)を数える。新型コロナウイルスの感染拡大で、公式戦開幕が延期となり、明日が見えないなか、猛虎の伝統を形作ってきた指揮官たちの足跡をたどってみたい。連日、各代ごとに1カ月余りの連載となる。外出自粛で「家にいよう」が合言葉のいま、ちょっとした読み物となればと願っている。

 阪神電鉄にプロ球団設立を持ちかけた関大倶楽部(OB会)理事長・田中義一(当時清宝バス専務=後の初代球団常務)とマネジャー・中川政人(球団支配人)は監督として関大後輩の本田竹蔵を起用する腹案を抱いていた。1935(昭和10)年春のことだ。

 本田は高松商時代、25年夏の甲子園大会で全国制覇。関大では投打にわたる活躍で第1期黄金時代を担い「ミスター関大」と呼ばれた。慶大出の冨樫興一(初代球団代表)とも旧知の間柄だった。33年に卒業し、大阪鉄道管理局に勤めていた。

 関西中心の編成を描いた田中、中川だが、阪神は「監督は東京六大学出身の著名人にすべき」と考えていた。『関西大学野球部史』によると本田には打診していない。

 阪神が当初、白羽の矢を立てたのは地元大阪の明星商(現明星)出身で明大助監督の谷沢梅雄だった。就任を打診し内諾も得た。谷沢は明大に辞表も出し準備を整えた。

 「話は九分通り進み、ホッとしていた」という田中は10月末「思わぬ事態が発生してがっかりした」。明大は監督の岡田源三郎が辞任、後任に谷沢昇格を決めたのだ。プロ球団設立に動いていた名古屋新聞(金鯱軍)が岡田を監督に招請していた。谷沢は立場上、明大を見捨てられなかった。

 人選は振りだしに戻り、重役会で名前が挙がったのが森茂雄だった。無監督の早大を主将として優勝に導き、出版社・誠文堂(現誠文堂新光社)に入社。東京倶楽部で都市対抗優勝に貢献。この35年は夏の甲子園大会で母校・松山商を初の全国優勝に導いていた。

 阪神は先に松山商後輩の景浦将、伊賀上良平らの獲得に協力を要請しており、面識もあった。

 阪神の要請に悩んでいた森の背中を押したのは早大初代野球部長の安部磯雄だった。早大同窓の伊丹安広が著した『一球無二』(ベースボール・マガジン社)に森の告別式(77年)で読んだ弔辞があり、内情がわかる。

 <安部磯雄先生の力強い激励の言葉によってプロ野球の世界に入り>とある。安部は常に話していた。<学生野球の健全な発展のためにはプロ野球が誕生せねばならない。将来大学の監督の学生、プロ野球の経験者から選ばれるのが理想である>。森就任にはプロ・アマの健全な関係を描いた安部の考えがあった。

 球団取締役(本社事業課長)・吉江昌世と冨樫が上京し、12月1日に森との契約を完了した。

 浜の宮合宿、甲子園での練習を積み、4月19日の球団結成披露試合(甲子園)は連勝で飾った。

 渡米していた巨人が帰国、全7球団がそろい、7月1日から公式戦として東京、大阪、名古屋でトーナメント大会を開いた。東京大会は準決勝敗退。甲子園での大阪大会は初日に敗退。親会社がライバルの阪急が優勝を果たした。阪急には5月の顔見世興行でも1勝2敗と負け越していた。

 阪神本社はてこ入れに動き、阪急が優勝を決めた13日、冨樫を呼び出し、総監督として毎日新聞広島支局にいる石本秀一を招くように指示した。同日夜、チームは名古屋に出発したが、球団常務・田中義一はひそかに広島に向かった。

 名古屋大会は15日から5日間、八事の山本球場で行われた。24年に中等野球(今の高校野球)第1回選抜大会が開かれた球場である。巨人、セネタース、そして19日の決勝で阪急を破り、記念すべき初優勝を飾った。

 主将・松木謙治郎は『タイガースの生いたち』(恒文社)で森や選手は手を取り合って喜んだが<宿舎に帰ると一大事件が待ち受けていた>。常務の田中に呼ばれ「松木君、えらい時に優勝してくれた。困ったことになった」。すでに14日に石本と契約を終えていた。

 秋のシーズンに備え、明石合宿に向かう8月10日、森が選手たちに告げた「甲子園で夏の中等野球(13日開幕)を見てから行く。先に行ってくれ」が最後の言葉となった。初優勝を置き土産に公式戦指揮わずか15試合(9勝6敗)で去った。

 森は翌37年、新球団イーグルスの監督に就任。タイガースは上位球団に勝ち越しながら、イーグルスには負け越した。<森監督の気力におされた>と松木はみていた。

 戦後は母校早大監督として11年間で9度優勝に導いた。また大洋(現DeNA)球団代表として60年に日本一。77年、野球殿堂入りを果たした。=敬称略=(編集委員)

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