張本氏 野村氏はパでしのぎ削った戦友…「ささやき戦術」にバットで頭叩いて対抗

[ 2020年2月12日 05:45 ]

野村克也氏死去

18年2月、巨人・ホークスOB戦の前に野村氏(前列)を囲み記念撮影する(後列左から)長嶋氏、張本氏、王氏
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 【張本勲氏 悼む】野村さんが南海で、私が東映に日拓、日本ハム。59~75年にともにパ・リーグで真っ向から戦った相手だ。本当に寂しいし、残念でならない。またプロ野球界の巨星が落ちた。

 とにかくリードがうまかった。エース級ではなく中堅の投手こそ、より巧みに操る。相手打者の欠点を知り、投手の長所短所を知り抜いていた。そして「ささやき戦術」。私の打席の時もいろいろと言われたものだ。東映時代、それに対抗して空振りしたバットで捕手の野村さんの頭を叩いたことがある。もちろん怒られたが「もうおまえには(ささやきは)言わん」と。それから言われることはなくなった。

 野村さんが戦後初の3冠王に輝いた65年。私は手首痛の影響で打率・292と不振だった。「俺が元気だったら3冠王を獲らせてませんよ」と言ったら、「うるせえ!」と言い返されたりもした。タイトル争いの最大のライバルだった。

 自宅も近く、サンダル履きでよく会いにいったものだ。ヤクルト監督時代には頼まれて息子の克則らに打撃指導もした。謝礼のお金を、と言われたが固辞すると、今度は沙知代さんから100万円ぐらいのハンドバッグが贈られてきた。「奥さんにあげるんだから」と言われたが、さすがにもらえない。再び返して「今度どっかでごちそうしてください」と言った覚えがある。

 最後に会ったのは1月21日、金田正一さんのお別れの会。車いすに乗っていた野村さんに「監督、体調はどうですか?」「おう、大丈夫だよ」。それが最後の会話だった。心からご冥福をお祈りしたい。ノムさん、あの世で会ったら野球、やりましょう。(スポニチ本紙評論家)

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