ノムさん逝く ID野球、大輪咲かせた「月見草」沙知代夫人と同じ病で…後日お別れの会

[ 2020年2月12日 05:30 ]

92年当時の野村克也氏
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 プロ野球の南海(現ソフトバンク)、ヤクルト、阪神、楽天で監督を歴任した野村克也(のむら・かつや)氏が11日午前3時半、虚血性心不全のため死去した。84歳。京都府出身。現役時代は南海で戦後初の3冠王を獲得するなど歴代2位の通算657本塁打を放ち、監督では3度の日本一に輝くなど歴代5位の通算1565勝を挙げた。「ノムさん」の愛称で親しまれた名将は、愛する沙知代夫人の後を追うように同じ病で逝った。

 野村氏が都内の病院に搬送されたのは、11日の午前2時すぎ。すでに意識不明の状態だった。世田谷区の自宅で倒れているのを家人が発見し、救急車を呼んだ。同3時半ごろ、虚血性心不全による死亡が確認された。10年に解離性大動脈瘤(りゅう)を患い、心臓に不安を抱えていた。

 「おふくろと一緒(の死因)だと。何とか望みがあるかなと思って、ずっと連絡を待っていたのですけど…」

 野村氏の息子で、楽天の作戦コーチを務める克則氏(46)が自宅前で対応したのは午後1時ごろ。キャンプ地の沖縄のホテルで訃報を受け、早朝の飛行機で帰京した。17年12月には野村氏の愛妻・沙知代さんが亡くなった。おしどり夫婦として知られた2人は死因も同じだった。

 戦後初の3冠王や歴代2位の通算657本塁打、指揮官として3度の日本一に輝くなど功績は語り尽くせない。野村氏の周りには、これまでに着たユニホームが飾られた。指先で涙を拭い、声を詰まらせながら克則氏は「父が残してくれたものは凄い財産なので、今後は何らかの形で野球に生かしていければ。今は本当に実感がないので」と、突然の別れを受け入れられないようだった。

 指揮官としてはデータ重視のID野球、ストッパー専任制、クイックモーションなど、球界に新しい風を起こし続けた。それでも同じ道に進んだ克則氏には「野球は心なんだよ」と神髄を伝えた。今年1月20日にはヤクルトのOB会にも出席し、公の場に姿を見せたのは同25日のシダックスOB会が最後。克則氏はキャンプ出発直前に交わしたのが最後の会話で「(楽天は)厳しい戦いになるな。頑張れよ」と、息子を励ました。

 沙知代夫人のお別れ会では「俺の方が先に逝くだろうと話していたのに。ひと言、ありがとうと言いたい。いい奥さんでした」と涙を流した。50年近く連れ添った愛妻を亡くしてからは「嫌なことばかり。誰もいない家に帰るってみじめ」と寂しさも募らせていた。自宅には、沙知代夫人の写真がいたるところに飾られているという。

 訃報は、ソフトバンク・王貞治球団会長、巨人・長嶋茂雄終身名誉監督ら現役時代のライバルに加え、監督として多くの教え子を残した球界にも大きな衝撃を与えた。それでも、克則氏は「僕にとってはごくごく普通の母親と父親。僕が言うのも何ですけど、いいコンビというか、いい夫婦というか、これ以上ないコンビなんじゃないかなと思う。今は2人でいるんじゃないかな」と思いやった。

 葬儀・告別式は身内だけで行い、お別れの会は後日営まれる。強く、美しく咲き誇った「月見草」が散った。

 ◆野村 克也(のむら・かつや)1935年(昭10)6月29日生まれ、京都府出身。峰山から54年にテスト生で南海(現ソフトバンク)入団。65年に3冠王。70年に兼任監督となり、73年にリーグ優勝した。80年に45歳で現役を引退し通算3017試合で2901安打、657本塁打、1988打点、打率.277。本塁打王9度、打点王7度、首位打者と最多安打1度、MVP5度。89年に殿堂入り。90年にヤクルト監督となりリーグ優勝4度、日本一3度。99年から01年まで阪神監督。社会人のシダックス監督を経て06年から09年まで楽天監督を務めた。監督通算1565勝1563敗76分け。右投げ右打ち。

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