加藤健、巨人から戦力外も笑顔絶やさず 19年目の“白球追う日々”心待ち

[ 2016年10月29日 10:00 ]

巨人・加藤健捕手
Photo By スポニチ

 どんな場面でも、自分のことは二の次。持って生まれた捕手としての資質なのだろう。野球人生最大の窮地なのに、人前では笑顔が絶えない。巨人から戦力外になった「カトケン」こと加藤健は、そんな男だ。

 このオフ、18年所属した巨人から戦力外通告を受けた。正式発表される17日まで、そしてその後も、現役続行を目指して続けるジャイアンツ球場での練習中は、まったく暗い顔を見せることはなかった。それどころか年下の選手を見かけては「お前のことは丸裸だからな。敵になったら覚悟しとけよ」と冗談を飛ばし、相変わらず周囲を和ませている。

 だが、この先の見通しはまったく立っていない。球団からポストを用意される一方で、現役への強い思いが勝って苦渋の決断で選んだ退団の道。周囲からは「どこか決まっているんだろう?」と必ず声をかけられるが、現状、風の便りすらない状況だ。「それは1軍で試合に出られればもちろんいいけど、そんな甘い世界ではないのは分かっている。とにかくこんな僕を必要としてくれるところはないか、最後は自分でやり切ったと思って納得したかっただけ」。球団の配慮に感謝しながらも、どうしても「引退」の選択はできず、いばらの道を選んだ。

 スター選手ではなかった。言葉を選ばなければ1軍半だ。98年ドラフト3位で新潟・新発田農からプロ入り。この秋、1軍打撃コーチに就任した二岡、上原と同期入団だった。2年後の00年は逆指名1位で阿部が入団。以来、ずっと第2、第3捕手の存在に甘んじた。通算は185試合出場。一方で、08年の日本シリーズや、昨年のCSなど阿部の負傷時には何度もチームを救った。今季、両リーグに所属した選手の中で、加藤のFA権未取得でプロ18年目は最長。日本ハムでコーチ兼任の同じ捕手の米野が17年目、続いて阪神・狩野が16年目。FA権を取得せずにこれだけ息長くプロ生活を送ったのは、重宝された一方で、いかに苦労してきたかの表れでもある。

 それでも加藤は戦力外となると、真っ先に阿部に連絡を取った。「“お世話になったのに、なかなか事実を伝えられずすみませんでした”って言いました。まわりにどんなことを言われても、阿部さんがいなかったら、今の自分はいなかったと思っている。感謝しかない」。乗り越えようと本気になった。かなわなかったがその分、成長できた。十数年、12球団で最も高いハードルの1つを乗り越えようとし続けた男だけが持ち得る、感謝の思いだった。

 記者にとっても特別な選手だ。記者がスポニチ入社前に知り合っていたプロ野球選手は加藤と、高橋監督の2人。加藤との出会いは大学に通っていた98年の夏だった。同じ新潟出身。母校・十日町の野球部を訪ねた時、高校3年生だった加藤がいた新発田農と、たまたま合同練習を行っていた。数年後、記者とプロ野球選手として再会。その後は何度も「十日町の田舎モンが何してんすか!」と言われたが、笑って許せた…というより「新発田も変わらん!」と言い返して笑い合った。投手の良さを引き出す捕手らしく常に笑顔で周囲をもり立てる。私だけではなく年下の記者にだって態度を変えず接することができる人柄は、年下ながら尊敬に値する。

 そんな加藤が28日、悩んだ末にトライアウト参加の手続きを行った。戦力外通告後「もう、僕のことはどのチームも分かっていると思うから、トライアウトを受けずに待つべきかな、と思っている」と言い続けてきたが、現役への強い思いをそうやって見せないといけない、とも考えた。「18年やってきたけど、いま、またいろいろなことが本当に勉強になっていますね」。早朝8時スタートのジャイアンツ球場で、1人の練習を続けている。この日は一度、帰宅した後、長男の峻平くん(6)にせがまれて、ジャイアンツ寮の地下練習場までキャッチボールをしに戻った。

 「結局、朝から一番、遅くまで野球っすよ」。ジョークめかした加藤の顔に一瞬だけ不安が浮かんだが、記者は信じている。朝から晩まで、思う存分、白球を追う19年目が、必ず来ると。(記者コラム・春川 英樹)

続きを表示

「名将かく語りき〜歴史を彩った勝負師たち〜」特集記事

「稲村亜美」特集記事

2016年10月29日のニュース