【レジェンドの決断 斎藤隆1】日米経験で「答え合わせ」のフロント留学

[ 2016年1月5日 12:33 ]

45歳の新たな挑戦――。パドレスへのフロント留学について語る斎藤(左)

 引退登板から約2カ月が経過した昨年12月初旬、楽天で24年間の現役生活に別れを告げた斎藤は米西海岸のサンディエゴにいた。パドレスへの1年間のフロント留学。実績と人柄、そして何より斎藤の熱意に打たれパドレスが受け入れた。これまで引退した選手の提携球団へのコーチ留学はあったが、フロントの現場で勉強するのは初めてのケースだ。

 「毎日が濃密。ノートは常に2冊持ち歩き、書き殴り用と清書用。“あすまでにこれを調べておけ”とか宿題もあった」

 本格的な留学は来月の春季キャンプからで、今回は手始めとして約3週間の滞在。斎藤が最初に体験したのは「ウインターワークアウト」と呼ばれる若手有望株を集めた強化合宿のようなものだった。3日間のスケジュールで、選ばれた20人が参加。「技術指導だけではなく、メディアへの受け答えから、ツイッターなどSNSの対応、現役選手を呼んでのディスカッションも2日間あった。日本もキャンプ中に新人選手を教育したりするが、やろうとしていることは一緒だけど、方法論が少し違う」と語る。

 「興味深かった」と感心したのが、リーダーシップ論。元ヤンキースのデレク・ジーター氏や、NBAのスーパースターで、今季限りで引退するコービー・ブライアントがメディアを通して発した映像を流し、彼らが何を言いたかったのかを話し合う。そうすることでプロとしての自覚を持たせるのだという。「メジャーリーガーになるための頭と体の準備を3日間でみっちり叩き込む。素晴らしいプログラム」。何もかもが新鮮だった。

 日本で17年間、メジャーでは7年間プレーし、オールスターにも選ばれた。斎藤ほどの実績があれば、指導者としてのレールは敷かれている。なぜ、フロントの勉強をしようと思ったのか。

 「最初にそう思ったのは、メジャーから日本に帰ってきた頃(13年)かな。2つの野球を経験して、待遇面などで違和感というか、違いを感じた。そうなると、次はその内側を知りたくなる。もちろん、日本の方がいい部分もあるけど…」

 現役最終年となった昨季は4月に2試合に登板しただけで、その後は2軍で調整。時間ができ、冷静に周囲を見渡せるようになると、いろいろなものが見えてきた。「日本でも、米国でも、もっとこうしたらいいんじゃないかと思うことがあった。その“答え合わせ”に行くような感じかな」。それがフロント留学という決断の出発点だった。 (甘利 陽一)

 ◆斎藤 隆(さいとう・たかし)1970年(昭45)2月14日、宮城県生まれの45歳。東北高では3年夏の甲子園に一塁手として出場。東北福祉大で本格的に投手となり、91年ドラフト1位で大洋(現DeNA)入団。96年には奪三振王、98年にはチーム38年ぶりの日本一に貢献した。06年に渡米しドジャースなどメジャー5球団でプレー。13年に楽天入りすると、同年はチームが初の日本一。14年には44歳4カ月の史上最年長セーブ記録をつくった。1メートル88、90キロ、右投げ左打ち。

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2016年1月5日のニュース