【レジェンドの決断 山本昌2】技術は常に「全盛期」毎年新たな挑戦

[ 2015年12月11日 10:03 ]

引退後、山本昌(右端)は評論家として活躍

 「もしも野球選手になっていなかったら?」と問われると、山本昌は即答する。「学校の先生だね。プロがダメだったらすぐに大学に行って先生になろうと思っていた。社会科のね」。もともとアスリートというよりは研究者肌。興味を持ったことには、とことん追究したくなる。その辺りも他の野球選手とはひと味違うところだ。

 少年時代から体は人一倍大きかったが、特に目立つ選手ではなかった。「大して運動神経も良くない。体育で(10段階評価の)10を取ったことがない」と笑う。ただ「野球が好き」「うまくなりたい」という気持ちは誰にも負けなかった。

 日大藤沢時代にやっと頭角を現し、83年のドラフト5位で中日入り。初勝利を挙げたのは米国での武者修行で伝家の宝刀・スクリューボールを習得した5年目の88年だった。それからの活躍は周知の通り。最多勝3回、最優秀防御率、最多奪三振を各1回、94年には沢村賞にも輝いた。

 一方でオフは趣味にのめり込む時間が増えた。カーマニアとしてレアな高級スポーツカーを何台も所有。プロ級の腕前を持つラジコンでは03年に全日本選手権4位に入った。クワガタの飼育にハマった時期もあった。ラジコンでいえばミリ単位の車体整備、クワガタなら微妙な温度、湿度の調整。そんな緻密な作業に没頭した。ただ、45歳となった10年から野球以外の趣味は封印。あふれんばかりの探求心を全て注ぎ込んだ「本職」では、その後も毎年、新球、新フォームに挑戦し続け「体力的には93、94年だろうけど、技術的には今が全盛期」と言い切る。

 物事を突き詰める姿勢は評論家になっても変わらない。将来的には指導者として再びユニホームを着る夢も持っており、これまでとは別の角度で野球を猛勉強中だ。

 「新社会人という気持ち。話し方やあいさつなんかもこれまでのようにはいかない。投げること以外は素人なんで、野球を勉強し直したい。いずれは(指導者として)声を掛けてもらえるようになれればいいですね」

 ユニホームを脱いだからといって、老け込む姿は想像できない。言葉の響きとは対照的に、いつまでも若々しい「レジェンド」の今後の活躍が楽しみだ。(山添 晴治)

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2015年12月11日のニュース