都片倉が初4強!完封の金井 打倒私立は「楽しい」

[ 2012年7月23日 06:00 ]

<東亜学園・都片倉>都片倉のエース金井は完封勝利にガッツポーズ

西東京大会準々決勝 都片倉5―0東亜学園

(7月22日 神宮)
 第94回全国高校野球選手権大会(8月8日から15日間、甲子園)の地方大会は、39大会で183試合が行われた。西東京大会では都片倉のエース右腕・金井貴之投手(3年)が東亜学園を5安打で完封し、初の4強入り。長野大会では元PL学園監督の藤原弘介監督(37)率いる佐久長聖が、10年ぶりの甲子園出場を決めた。23日は宮城大会決勝で仙台育英と東北が対戦。31大会で124試合が行われる。

 金井が右腕を突き上げた。9回2死一、二塁。最後の打者を三振に仕留め、初の4強進出。最初で最後の夏に挑んでいる3年生エースは公式戦初完封を達成し、さまざまな思いが胸にこみあげた。

 「神宮でこれだけの投球ができれば100点満点。強い私立に立ち向かっていくのは楽しい」

 6回2死まで無安打。140キロ台中盤の直球を武器に、スライダーも切れた。「ノーヒットもいけるかなと思った。打たれたのはヒットというヒットではなかったので切り替えられた」。5安打7奪三振。涼しい顔で138球を振り返った。

 転向と転校。2つの変化を経て、金井は成長した。日野シニア時代に捕手から投手になり、投げる楽しさを味わった。高校進学は強豪私立に絞り、甲子園出場経験もある神奈川の平塚学園に入学した。だが、1年時の5月に右肘を故障。8月に復帰したが今度は猛練習で体調を崩し、腸炎で入院した。「野球をやりたくないと思った」と、9月に野球部をやめた。そんな時、日野シニア時代のチームメートだった、小林章から「また一緒に野球をやろう」と声をかけられた。両親の反対を押し切り、東日本大震災直後の昨年3月、都片倉の編入試験を受けた。

 半年間、練習をしていなかったため、体重は100キロ近くになっていた。草むしり、用具の準備などと並行してトレーニングに励み、80キロまで減量した。直球の最速は145キロを計測するまでになり、今春からチームのエースになった。

 「片倉はどこよりも楽しく野球ができる。あと2つで夢の甲子園だけど、一戦一戦」と金井は引き締めた。帽子に記した「笑顔」を忘れず、野球を楽しむ。その先に甲子園が待っている。

 ◆金井 貴之(かない・たかゆき)1994年(平6)4月13日、東京都生まれの18歳。小2から野球を始める。日野四中では「日野シニア」に所属し捕手から投手に転向。平塚学園に入学も、2年時に都片倉に編入。直球の最速は145キロ。1メートル79、88キロ。右投げ右打ち。

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2012年7月23日のニュース