被災地の思い胸に快進撃も…光星学院、悲願ならず

[ 2011年8月21日 06:00 ]

光星学院・川上(左から2人目)は準優勝盾を手に場内一周

第93回全国高校野球選手権大会決勝 光星学院0―11日大三

(8月20日 甲子園)
 白河の関はどこまで険しいのか。強打を封じられ、強打に屈した。ただ、大観衆から送られた大きな拍手。それが光星学院の戦いの証だった。

 「きょうのスコアを見て分かるようにうちはまだまだ。吉永君はいっぱいいっぱいだったと思うけど、うちの攻撃ができなかった」。仲井宗基監督は素直に敗戦を受け入れた。青森県勢として42年ぶりの決勝進出もエース秋田が打たれ、自慢の強打も5安打に封じられた。それでも2回戦から登場して準決勝までの4試合で29得点。秋田、川上の2枚看板で東北の代表としてチームの底力を見せつけた。

 震災当日の3月11日はセンバツに向けた沖縄合宿中だった。交通機関がマヒして地元に帰ることができないまま出場したセンバツでは、東北勢唯一の白星を挙げて青森へ戻った。しかし、大会後の支援活動では避難所に運んだ支援物資を断られたこともあった。「甲子園で1勝しても自分たちは地元に何も貢献できていない」。部員の大半は関西を中心とする県外からのいわゆる野球留学生だが、被災者の心の傷の深さを知ったことで地元を愛する気持ちはさらに深まった。地元八戸市出身の控え捕手、荒屋敷は「最初はみんなバラバラだったけど、最後に一つになれた」と振り返る。2年生4番・田村は大阪出身だが「青森代表として、県民と同じくらいの気持ちで戦っている」。その気持ちこそが、この夏の快進撃の源だった。

 東北勢6度目の挑戦も夢には届かなかったが、川上主将は言った。「最高の夏でした。優勝は逃したけど僕たちは全力でやった。胸を張って青森に帰りたい」。光星学院ナインの最後まで諦めない気持ち。必ずや東北にも届いている。

 ▼光星学院・秋田(7回途中12安打9失点で降板)自分のせいで負けた。エースとしての責任を果たせなかった。甘い球は見逃してくれなかった。向こうが上だった。

 ▼光星学院・沢(1番打者で3打数1安打)気持ちで勝負しようと打席に入った。1点も取れなかったのは悔いが残る。

 ▼巨人・坂本(光星学院OB) 優勝には1歩届きませんでしたが、光星ナインの最後まで諦めないプレーに胸が熱くなりました。みんなの戦いぶりは被災した東北の人たちに元気を与えてくれたはずです。僕も後輩たちの活躍に負けないよう、これからも全力プレーを心掛けていきます。胸を張って青森に戻ってください。

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