杉下茂さんを追悼 長嶋氏「一緒に優勝の喜びを分かち合えた」王氏「なしに日本の野球界語れない」

[ 2023年6月17日 06:45 ]

杉下茂さん逝去

巨人コーチだった1977年7月、長嶋監督(左)と練習を見守る杉下茂氏
Photo By スポニチ

 杉下さんは57年に通算200勝を達成。翌58年に長嶋茂雄(現終身名誉監督)が鳴り物入りで巨人に入団した。当時、杉下さんは33歳を迎えるシーズン。全盛期は過ぎていたが、長嶋氏は「“これは打てないな”と諦めさせるようなフォークボールが印象的でした。ストレートも速く、いつフォークボールが来るんだと打席で恐怖を覚えたことを思い出します」と振り返った。

 長嶋1次政権初年度の75年、球団史上初の最下位に終わると、翌76年に杉下さんが投手コーチに就任。同年からリーグ2連覇を果たした。監督を退任する80年まで5年間共に戦っており「力添えを頂き、若い選手中心の投手陣を鍛え上げ、立て直してくれました。監督とコーチの立場ではありましたが、信頼し合い一緒に優勝の喜びを分かち合うことができたのも心に刻まれています」と感謝した。

 長嶋氏は昨年、東京ドームで巨人―ロッテ戦を観戦した際「私が見てきた約80年の中で杉下茂さん、金田正一さん、佐々木主浩さんの3人がNo.1でしたが、今は佐々木朗希君がNo.1です」と話した。今では多くのフォークの使い手が活躍しており「杉下さんのフォークボールは、日本球界で多くの投手の礎となったことは間違いありません」と改めてその功績を称えた。

 ▼ソフトバンク・王貞治球団会長 フォークボールの神様と呼ばれるほど杉下さんなしでは日本の野球界を語ることはできない方でした。川上哲治さんや対戦した人たちの談話では、狙っていても打てないという話でしたし、それだけで頭脳的なピッチャーと聞いていました。杉下さんと対戦できなかったことは本当に残念です。

続きを表示

「始球式」特集記事

「落合博満」特集記事

2023年6月17日のニュース