ドラゴンズOBも杉下茂さん追悼 落合博満氏「中日の大スターですよ。毎日昔話を聞かせてもらってね」

[ 2023年6月17日 06:45 ]

杉下茂さん逝去

中日・北谷キャンプで、投手のピッチングを見守る、(左から)落合博満監督、杉下茂氏、森繁和バッテリーチーフコーチ(2008年撮影)
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 1954年に中日の初優勝と日本一に貢献した杉下茂(すぎした・しげる)さんが12日午後10時18分、都内の病院で間質性肺炎のため死去した。16日、球団が発表した。97歳。東京都出身。通夜・葬儀は近親者で執り行われた。当時では大柄な1メートル82の長身からフォークを武器に通算215勝を挙げ、監督、コーチとして各球団で後進の育成に尽力した。

 球団OBからも、杉下さんを悼む声が挙がった。

 ▼権藤博氏 60年に中日と契約を交わした時の監督が杉下さんでした。直後に退任され、デビューした61年から背番号「20」を引き継ぐことになったのですが、ドラゴンズといえば杉下さん。歴史をつくった人です。永久欠番になるべきものを背負うことで、強い使命感が生まれたことを今も鮮明に覚えています。肩を壊し野手に転向していた私に投手再転向をすすめ、ケジメをつけさせてくれたのも監督に復帰した杉下さんでした。19年1月。私の野球殿堂入り通知式でゲストスピーカーを務めていただいたのも杉下さんでした。野球人生の節目、節目で偉大な先輩に寄り添っていただきました。本当にありがとうございました。

 ▼落合博満氏(元中日監督)中日の大スターですよ。監督だった8年間、キャンプでは臨時投手コーチをお願いして、大変お世話になりました。球場、宿舎で毎日昔話を聞かせてもらってね。内容は言えませんが野球だけじゃなく、戦争当時のことなどもね。シーズン中、球場に来られたら必ずあいさつに来てくださり、本当に気にかけていただきました。ご冥福をお祈りします。

 ▼中村武志氏(元中日、本紙評論家)若かった時に「おい、小僧、下手くそでも気持ちを込めてしっかり捕れば投手に伝わるから」と言われた言葉が印象に残っている。闘将の星野監督が唯一ペコペコして、凄いおじいちゃんだった。

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